2011年3月31日木曜日

はじめの、はじめの、第一歩

今日は水曜日。
生徒たちはKANISAの日。
(牧師さんが着て、クリスチャンの歌うたったり、お祈りする時間)
そして職員会議の日。

今日のこの職員会議で俺が前から言っていた授業を増やしたいという提案を議題にあげた。
事前にマネージャーとジョロゲには話していたことではあったが生徒のたちの一日のプログラムに関わることなのでその他同僚にも周知した。

まず仕事も与えられず、特に何もしていない生徒の存在を問題として挙げた。
そして俺にも授業をしていない時間あるので彼らに授業をすることでその問題を解決できると説明した。
しかし俺が最も解決したい問題は彼らの授業数を増やすこと=教育の機会を増やすこと

ほんでまずなぜ彼が何もしていない時間があるのかという話になった。
同僚らが言うには生徒全員には本来彼らが沿うべきプログラムがあるということ。
が、しかし沿っていないからそんな状況になっている。

そこでまず一人の同僚がそれを認める。自分が怠っていましたと。
事実、そのプログラムを進行するはずである教員がちゃんと仕事してへんかった。

「あれ?なんか風向きが違うぞ」と思う俺。
というのも俺が感じていたケニア人の印象は「自分の非を素直に認めないこと」であったから。

ほんでその後、話が移り、次に学校のプログラムを変えるには少し難しい点があるということが話合われる。
もちろん今回の俺の提案により学校のプログラムを変えることは不可能ではない。
そして俺がその増やした授業を進めることも可能である。
しかし俺が日本へと帰国する1年後はどうなるのか?
そこを聞かれた。

おっしゃる通り、俺1年後に帰ります。そして1年後のことなんか考えてもいなかった。
そこはちょっと無責任ではないかと。

更に次にいつもお調子者の同僚の一人が俺の気持ちを汲んだのかこんなことを言う。
「マサルは授業をしていない時間があるといってるやろ!マサルははるばる日本から政府のお金使って仕事しにきてるのにオフィスで暇してるのはかわいそうやろ!」

なんかちょっと違うけど・・・まぁええか。ナイス、ビス(同僚の名前)!

そしてそれに同調するうちのボス。

更に更に話が変わり、俺の前任者(俺が来る前に活動していた日本人)の話へ。
この方はまだ俺やもう一人の授業担当教員が来る前の頃に日本人たった一人でうちの更生学校のすべての授業を担当していた。
おそらくかなりの激務に近い労働量だったと予測され、しまいにはケニア人生徒にスワヒリ語まで教えていたそう。

その前任の方がその激務に耐えかね、うちの更生学校を仕切る省庁まで話がいったそうだった。
それによりうちの施設とマネージャー、なおかつその省庁が管轄しているその他ボランティアが活動している施設まで厳重注意がなされたとのこと。

その件を懸念しているうちのマネージャーや同僚たちが俺にあまり仕事をしてほしくないという心配もあるということを言われた。

これは俺が自分でやりたいっていうて自分でやるんやからそこ文句言えません。
せやから安心してねと強く念を押して言った。

とまぁこんな話合いが続けられ、2時間も続く会議で漏れそうな小便を我慢しつつ、結局、落ち着いた結果はとりあえずプログラムはそのままで暇してる子供たちを俺に回すということに。

これもなんかちゃうな〜と思いつつ、とりあえずこれで様子見ようかなと。

本格的に始まるのは5月からなのでまたぼちぼち話していこうと。

そして自分の記録用として今日の会議の状況をこと細かく書いた自己満足の日記。

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