2010年12月14日火曜日
ハートにシュート in ゲタスル
ブログをびっくりするぐらいサボりすぎました。
すみません。
ただめんどくさくなったわけではありません。
うれしいことになかなか忙しい日々が続き、怒涛の1カ月でした。
まとめて書くのもなんなのでぼちぼち書いていこうと思います。
それではひとつめ!
『ハートにシュートin ゲタスル更生学校』
11月27日に俺の任地のゲタスル更生学校で『ハートにシュート』企画しました!
名前通り、サッカーを通じてケニア人、日本人間の交流を深めるという素敵企画!
当日は残念ながらの曇り空で、途中大雨が来て、一時中断したものの
両チーム白熱したゲームになりました!
俺は普段、サッカーは教えてはおらず、コーチングをしている同僚のサポート程度。
けれども日頃練習試合相手のいないうちの生徒たちに少しでもモチベーションをあげてもらうことと
俺以外の日本人と交流する機会をもってもらいたかった。
試合途中に審判に文句をつけたり、味方チームのプレイが気に入らずやる気をなくしてしまうなどいつもの悪い癖がでてしまったものの
日本人のプレイに少なからず影響は受けていた。
俺は生徒たちに「なんでも経験してほしい」といつも思っている。
だから自分一人でできないことはどんどん手伝ってもらおうと思っている。
なので今回、協力隊員を含め、専門家の方や日本人学校の先生・生徒さんに多大なるご協力をいただきました!
俺がかねてから望んでいた、日本人とケニア人生徒同士の同世代交流もできて、本当に感謝です。
もっともっと子供たちにたくさんの経験をしてもらおう!
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Japan Overseas Cooperative Volunteer
Masaru Kashiwagi
E-mail:masaru0724@gmail.com
Tel:(+254)712-752383
Getathuru Rehabilitation School
Reception and Discharge Centre
P.O.BOX 23051-00604
Lower-Kabete, Nairobi, KENYA
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2010年11月9日火曜日
通りすがりの友情
ゴルフのスイングや外から内に入ってくる低めのカーブをサバくかのように
のんびり草刈りしていると通りすがりの兄ちゃんが声をかけてきた。
「手伝おうか?」
オレは別にしんどくなかったけどなんか兄ちゃんがやりたかったみたいやったから任せることに。
いや人間芝刈り機ってこのことやで!
俺がやったら1日かかりそうなところを10分くらいで片づけてしまった。
彼の名はダグラス。
どうやら俺のご近所さんにあいさつしにモンバサ(海側の街でナイロビから8時間のとこ)から上がってきたそうだ。
しかもキスム(ナイロビから6時間くらいのモンバサとは反対側の大きな街)に行くお金がないからとりあえずモンバサに嫁さんと子供を置いてきてナイロビに資金調達をしに来たらしい。
そんな話をしながら、彼は自分のことを俺に話してくれた。
実は彼は何年か前に俺の今の職場である、更生学校出ているらしい。
そして、「オレの夢は日本に行くことなんだ!」とも。
日本は世界にたくさんのすぐれた機械を送り出しているモノづくりの国であるからと。
で、日本の技術を勉強したいんだそう。
嫁と子供のバス代すらままならない彼が日本にいけるのは何年先だろうか。
ただ、彼は自分の今の状況を真摯に受けとめ、自分のすべきことをまじめにやっていた。
そして何よりも他人を思えるやつだった。
自分だけが良ければいいという行動が顕著に表れるケニア人を何人も見てきただけにとても新鮮で、なによりも嬉しかった。
この芝刈りが終わった後も、「ただ手伝いたかっただけ」、「お金なんていらない」と言ってきた。
それでも、オレはやられっぱなしはいやだからお礼に20シル(15円)くらいのピーナッツをあげた。
彼はこれからキスムで細々と商売を始めるようであったが、ぜひキスムに行ったときには彼に会いたいと思って、電話番号を聞いた。
彼が困ったときには何かしてあげたい。力になりたい。
そしてそう思わせるオーラが彼から出ていた。
やっぱり人間裸一貫の付き合いってええもんですな!
こういう友情は本当に大事にしていきたいとそう思った日であった。
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Japan Overseas Cooperative Volunteer
Masaru Kashiwagi
E-mail:masaru0724@gmail.com
Tel:(+254)712-752383
Getathuru Rehabilitation School
Reception and Discharge Centre
P.O.BOX 23051-00604
Lower-Kabete, Nairobi, KENYA
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2010年11月6日土曜日
切り絵
スワヒリ語もぼちぼち慣れ出してきた。
ただ不思議なもんで聞く気がなかったり、気持ちを込めてない時は全く聞けないし、話せない。
やっぱり言葉は手段であるけども、気持ちの込め方一つで大きく変わるな!また勉強や!
さてさて、オレは学校で子供たちからこう呼ばれます。
「ミスターまさる!」(なんか距離を感じるけども、悪くないなとも思ってる。)
「まさる!」(先生としてはどうかって感じやけど、オレはこれが一番好き!)
「チャイニーズ!」(新顔の子供たちが言う傾向有り。この場合、しっかり拳で教育。嘘です。丁寧に違うよと教えます。)
そして「Mwalimu wa P.E.(体育の先生)」。
基本的なオレの仕事は体育の授業です。
体育の時間で子供たちと関わることがもっとも多く、生徒たちの名前も授業で覚えることが多い。
しかしもちろん体育の授業だけでなく、他にも仕事がある。
それで最近、図画工作として日本から折り紙を持ってきたので「切り絵」の授業をやった。
テーマは動物。
みんなそれぞれ、自分の好きな動物を自分の好きな色で作っていく。
キンキラに輝くライオン。
ほぼすべての色を使ったであろう、カラフルな鳥。
これは何の動物?って聞いて・・・わからん!って言われるけどもなんやカッコいい生き物。
モノづくりっていうのもはホントに個性がめっちゃ出るからおもしろい!
この間、同僚と晩飯を食っていた時のこと、
ケニアはどこまで、何を勉強したかでその人の価値が決まるという。
実際、ケニアで管理職についてる、もしくはある程度の収入を得ている人は日本でいう修士や博士を持っている人である。
だからその同僚も、30歳を超えて、今でも学び続けている。
でもその学歴社会の色が濃いケニアではどうしても体育、美術、音楽などの実技科目、つまり情操教育が軽視されている。
自分で考えたことを表現する。自分を表現する機会があまりにも少ない気がする。もちろん、学校教育においての話ではあるが。
とまぁこれ以上話すとタイトルが変わってしまうのでまた今度!
ということで俺の仕事は少しでも子供たちにたくさんのことを経験させてあげることと自分を表現する機会を提供すること。
さて今度は何しょうかな!
ちなみにこれは俺が見本で作ったやつ。ある意味、俺の不器用さが表現されているよな!
いやしかし・・・ひどい。 笑
2010年11月3日水曜日
ウガリからの
なかなか忙しかった日々が続いた、10月後半。
同期隊員によるエイズ講座
ナイロビマラソン 42.195km 完走(5時間15分)
配属先のパンフレット作成業務手伝い
連夜の飲み会
などなど
なかなかしっかり子供らと関わる時間を取れずにいた。
それで、今日は久しぶりに子供らとゆっくり話することができた。
彼の名前はカゴロ。
日本の友達がケニアに来たら何食べさせてあげるべき?と俺が彼に質問したところから始まり、「ウガリ(ケニアの主食)とサマキ(魚)やな!」
キスムのサマキはおいしいよ!ウガリを右手に、サマキを左手に・・・もうたまらんよ!あっあとトリもええな!
など勢いよく話を始める。彼は話をするのが大好きなようである。
カゴロ「先生、ウガリの作り方知ってる?」
オレ「知ってるけど、まだ自分で作ったことないわ!」
カゴロ「じゃあ先生の友達が来たら作ったたらええやん!」
オレ「いや〜でもやっぱケニア人が作ったほうがええやろそこは!」
カゴロ「1回作ってみ!試してみないと!」
オレ「ん〜せやな!でもオレ学校で食べれるしな!」
カゴロ「いや、やってみなあかん!先生、知ってるだけやったらあかん!自分で作ってみないと!
だって、先生ウガリ作ってるとこ見たことはあるかも知らんけど作ったことないんやろ!?ほんじゃあ作らなあかん!」
オレ「なんで?作れるよ!」
カゴロ「とりあえず、試してみなあかん!試してみたら、どれぐらいウガリの粉入れなあかんとか、水どれぐらいいるか、どれくらい混ぜるのかとかわかるやろ!
ほんで、どこを間違ったかとか、ここをこうすればよくなるよとかわかるやん!」
オレ「お〜なるほどな!」
カゴロ「それからまたその間違ったとこをよくしていけばおいしいウガリがつくれるよ!ほんで友達においしいウガリを食べさせたらいいねん!」
とりあえずやってみないとわからない。やってみてから考える。反省してまたそれを生かして、さらに良くしていく。
まさか子供からこんな貴重なメッセージを、まさかウガリの作り方からこんな大事なことを学べると思ってなかった。
自分がケニアで活動している中でもっとも必要なことを子供から思い出させてもらった。
教師だからといって一方的な指導なんて考えられへんなと改めて感じた。
子供から学ぶってこういうことなんだろうと思う。
純粋な子供だからこそ感じることがいっぱいある。
シンプルだけど大事なこと。
大人になっていろんな体験して、いろんな知識ついていくけども、
大事にしていかなあかん、「根」の部分がある。
これを忘れてしまえば、ただの根なし草。しっかりした木も育たない。
オレはケニアのこの「根」を育てに来たんや。
それを思いださせてくれた、カゴロにありがとうを言いたい。
そして、まずオレの授業出に席しなさいとも。
2010年10月21日木曜日
それが友達だろ!
今日はケニアの祝日、マシュジャーデイ(英雄の日)。
祝日といえども特にすることないので、学校で同僚とおしゃべりしたり、子供らとホームアローン2(ラストシーン5分くらいだけ)一緒に見ました。
で、そんなこんなしてると俺の任地のすぐ近くに新しく来る日本人ボランティアさんと彼を案内している彼の同僚になるケニア人がうちの学校へ。
そのケニア人(その名もJob)は実は顔見知りで以前に一度会ったことがある。
その時は「電話番号教えてくれ!」、「飲みにいこう!」、「酒おごってくれ!」、「よし、電話してこいよ!」などめっちゃアグレッシブなやつで大のお酒好き。
そんな彼に電話することなく、1カ月〜2カ月(だいぶ曖昧)ぶりの再会。
彼はその日本人ボランティアさんを活動先近くのポリスステーションに連れて行くということで、なぜかオレも来いと誘われ同行。
ポリスステーションに行く目的は治安のあまりよろしくない地域に住むということで何かあった時のためにすぐ警察に来てもらえるように、「ここに住んでますよ!」とあいさつすること。
で、あいさつする予定であるポリステの所長さんは昨晩夜勤であったために不在。
まぁこんなもんだろうといいながらちょうどお昼だったので近くの食堂でみんなで昼食をとることに。
この時、Jobに前からお酒飲みに行こうって約束してたけど俺がなかなか連絡せんかったからお詫びに「ビール奢ったるから飲めよ!」と。
俺は学校に戻ってまだ子供らと遊びたかったからその場はソーダにした。
で、Jobが注文したのはスミノフの原液っぽいボトルビン(300シル)。
100シル(80円)しか持ち合わせていない俺は大慌てで、制止。
オレ「おまえ、それはやりすぎやろ!ビール頼めよ!」
Job「そんなビールなんかで酔えるかよ!俺は強い酒がいいんや!」
オレ「せやかてオレ今金ないからビールでええやんけ!それか違う日にまた出直すか?」
Job「ほんならそうするか。」
で、その後、お店から出て。
日本人ボランティアさんはそこから直接宿泊先へ帰宅。
俺とJobは同じ方角だったので一緒に帰ることに。
で、学校の前でバス降りて「ほなまた今度な!電話するわ!」と俺が言うと、
Job「ちょっと待て。いっぱいだけでもそこの店でひっかけていかんか?」
オレ「あ〜オレ学校戻るからまた今度にしよ!すまん!」
Job「ほんじゃあ金だけでもええからくれ。」
オレ「あほか。なんで金だけやねん。オレはおまえと一緒に飲むんやったら全然酒の1、2杯奢ったるけど金だけやったらやらん。」
Job「頼む!ビール一杯だけでええから!」
オレ「おまえさっき俺と一緒におるときに飲めよゆうたらビールはいらんゆうたやんけ!」
Job「頼む!俺達友達やろ!」
オレ「あほか!そんなん友達ゆわんわ!オレはおまえと一緒に飲むんやったら奢ったるよ!ただ今日はオレは学校に戻るし、お金だけほしいんやったら絶対やらん。」
Job「頼むって。お金が問題なんか?オレ給料入ったら返すから。」
オレ「やかましい!お金の問題じゃないわ!俺がゆってるのはおまえと一緒に話したりして時間を過ごすためやったら酒くらいおごったるってゆうてんねん。ほんでもしまた飲みに行く機会があってお前が金あんねやったらオレにすこし奢ってくれればいいねん。それが友達やろ!」
とまぁこんなやりとりを祝日で行きかう人たちの視線を浴びながら道中のど真ん中で繰り広げていた。
全然悪いやつじゃなさそうやし、本間に飲みに行ったらおもろそうなやつやけど、
お金でつながるような友情はないとオレは彼に伝えたかった。
もっかいあったら絶対ゆうたろ!あのオッサン!
そんでマジで一回飲みに行こう!
2010年10月16日土曜日
親のありがたさ
今日、半年ぶりにおかんとおやじと電話で話しした。
俺が生まれてからこの23年間こんなに親元を離れるのは初めて。
高校も、大学も全然家から通える距離やったし、実家から離れる必要もなかった。
でも日本におる時から家におってあんまりおらんかったようなものなのでホームシックとかはない。
ただ久しぶりに親と話できて正直嬉しかった・・・というよりもホッとしたって言った方が正確かな。
まぁおやじとは相変わらず何喋ってええかわからんかったけど。笑
ケニアに来て、一人暮らしして、親のありがたさを感じたことが何回あるか。
数えきれんくらいある。
家帰ってきて飯ができてる、
風呂にいつでも入れる、
風邪ひいたら看病してくれる、
他にも見えないところで支えてくれてる。
なおかつ、今教師としてすごく感じることが子供の成長はほとんどの場合、親によるものであること。
今、俺がこうして生きていられるのもオカンと親父のおかげやな。
つい最近までうっとおしいなぁとかやかましいなぁとか思ってたけど、
親ってそういうもんやねんな。笑
オカン、親父、ありがとう。
ってこれに気づけたことで少し大人の階段を上った気がする。
いや〜しかしこれは絶対親孝行せなあかんなぁ!
2010年10月5日火曜日
This is Kenya
近頃、語学もなんとなくわかってくるようになって、授業もなんとかこなせるようになってきた。
といってもまだまだ子供らの言ってることがわからん時も多々あるし、授業もこなせてる程度。
ほんで今日、日本人である俺とケニア人の感覚の差を感じた。
俺は基本、毎日朝の11時から授業を開始する。
さきに他の先生らの授業を受けている子供らに
「11時になったら教室に集合。遅刻しないように。」と毎回必ず伝える。
ほんでまぁまだそんなにきっちり時間に来るわけでもなく、生徒らはゆっくりくる。
これは時計が別の場所にあって、なかなか確認しづらいから仕方がないことやと思ってる。
ほんでもうひとつ授業前に子供らにいうことがある。
「もし他の先生に用事を頼まれても、授業があるからと言いなさい。それでその先生が怒るのであれば俺に言え。」
そうです。先生らは子供らにドーナツ買ってこいだの、牛乳買ってだの言う。
子供らも嫌がったりするやつはおらず、なんやったら学校の外に出れる興奮さでうきうきしてるくらい。
ほんでだいたいそれで子供らは授業に出なかったり、そのまま違う場所で遊んだりしてる。
このお使いシステムを否定してるわけではない。
なぜなら生徒にお使いに行かせるということは先生がお金を子供に任せるということ。
お金を任せるということは責任を任せるということで、ある程度の責任を任せるにはある程度の信頼関係がないとあかん。
ただ授業あるやつがほったらかして行くほどではないと俺は言う。
もちろん、先生らにもその件は言ってあって承知してくれてる。
ただ子供らも、先生らも、「11時に授業を始める」といっても
子供らは「すぐ戻ってくるから!」といったり
先生らは「すぐに戻らすから!おい!おまえ、すぐに戻ってこいよ!」という。
ちゃうやろ。行かさんかったらええんやん。
おもわず、「This is Kenya」と皮肉をこめて口走った。
俺が確実にマイノリティなのはわかってる。
ただここは絶対譲らん。だっておかしいやん。
どこの国に、授業の代わりにお使いいかす教育があんねん。
今日、そのことを生徒、先生がある前で言ったけどたぶん変わらんやろうな。。。
これも言い続けるしかない。オレ絶対負けへん!
学校間交流
ゲタスル学校にはおっきなグランドがある。
サッカーグランド一面とって、ほんでまだバレーボールコートみたいなスペースとまだ他に子供らが遊ぶ場所があるくらい。
そのせいか、定期的に近隣の小学校が使いに来る。
彼らは体育やったり、サッカーやったり、体をおもっきり動かせる時間を楽しんでる。
うちの生徒達もたまに交じることがある。
まぁスケジュール上は他にすることあるんやけどね。
ほんで今日。
学校対抗のサッカーの試合があった。
いつもと同じ相手ではなく、他校の生徒と試合。
もう白熱にするに違いない。
出場する子供らももちろんやけど、出てない子供らも一緒に盛り上がる。
そこらへんの一致団結感はもうすごい!
ほんで俺も「いけいけ〜!」と盛り上がっててると
よく見たら相手チームに大人がおる。おそらく学校の先生だろう。
もうそうきたらこっちも出なあかん!
ということで俺と同僚と二人が入って、試合再開。
もう相手チームにも自軍にも子供がおるのに全く大人げない大人たち。
もうみんな必死。
俺もなんとか勝とうと思って、相手チームの先生らにガチディフェンス。
うちの子供らは俺と同僚が入ったからもちろん、勝つに違いないという雰囲気。
今更、素人なんですなんて、子供らの前で言えない・・・・。
そのせいでさらに必死。。。
試合は結局、5−6で負けてもうたけども、ものすごい白熱してめっちゃ楽しかった。
やっぱスポーツは真剣にやらなおもんない!
子供らにもちゃんとやれ!って口で言うのもいいけどたまにこうやって背中で語ることも大切やな。
たまには大人げないところ見せていこう!
って土日、今日と3日連続、風邪を患いながらのスポーツで疲れがMAXに来て、フラフラなオレ。
2010年10月1日金曜日
今日はとりあえずダラダラと書きます。
今週、最後のトランスファー作業を終えて、約100人の生徒達がゲタスル更生学校からケニア全土の更生学校へと旅立った。
もう寂しいこと。
朝起きて、学校から聞こえてくる騒がしい声。
学校にいって挨拶してくる元気なやつら。
現在の総生徒数35名。
少なっ!!笑
でも生徒らが少ない分、しっかり生徒らと関われることは確か。
一人ひとりしっかり関わっていこう。
た〜だ今週なぞの頭痛、鼻水、咳の症状に襲われ、いまいちテンション上がらず・・・。
そして火曜日にしんどさのピークが来て、昼に授業終わって、家に直行し、爆睡。
しかも、晩飯も作る気がせず死にそうになってたところ隣人のキョウコさんにうどん作ってもらうっていう。
人間、弱ってるときに地がでるというか、急激に日本食を欲したため、SOS。
キョウコさんありがとう。
いや生徒にも、キョウコさんにも申し訳ない。本間健康一番やで。
ほんで、今週からまた授業が再開したわけやねんけど、
うちの学校の特徴からすれば、常に新学期が始まるような空気が漂う。
いい意味でいえば新鮮。悪く言えば浮ついてる。
そんな中で授業を始めるともうてんやわんや。
さすがにでかいやつらは先生がいうことを聞いて、それを行動に移せるけど。
ちっこいやつらは全然あかん。もうチャランポランばっかで、何をゆうても筒抜け。笑
そこをケニアのmwalimu(先生)たちはkiboko(棒)で子供らを抑えつけるわけやけども俺は好かん。
ただ暴力を否定してるわけではない。事実、俺も中・高とスパルタでやられてきたから。
ただモノを使うのが気に食わん。殴るんやったら自分で殴れ。殴るんやったらその痛みを自分でも知れ。
こう思う。
あともうひとつの理由がこの間、日本人の人と話をしていて気付いたことやけど、
同じ職場の中で暴力を振るう先生がいれば、生徒はその他の暴力を振るわない先生がなめてしまうこと。
事実、俺以外のケニア人の先生もその理由で威厳が無くなってしまっていた。
ケニアの学校からkibokoを取り上げるのは不可能。そしてそんなつもりもない。
だから俺は必要とあれば、子供らにゲンコツ食らわす。
但し、愛を持って。
いやしかし大変やな!また3カ月、しっかり躾していかな!
怒って、ほめる!
これの繰り返ししかない。
2010年9月24日金曜日
生きる力
最近、ここゲタスル更生学校で流行ってます。
なんやどっかからいらん布取って来て
ちょうどええ木見つけて来よって、こんなん作ってます。
いや〜俺も昔はこんな遊びやったよな〜。
こういった創作活動って子供らの情操を育んでいくんやろな。
またこういった工夫が彼らの生きる力につながっていくんだな〜とつくづく感じてます。
ただ・・・・
まさかとは思ったけど
はい。マジで狩りするやつらがいてる。
手作りの弓と手作りのパチンコで。
オレ「おっ!おまえらもつくったんかそれ?」
子供「うん!かっこいいやろ!」
オレ「せやな!ほんで何してんの?」
子供「鳥捕まえんねん!」
オレ「やめとけって。むやみやたらに生き物をいじめたらあかんもんやぞ。」
子供「あの鳥捕まえて食べるねん!」
オレ「・・・・・。」
子供「あの鳥めっちゃおいしいねん!先生も食べる?」
オレ「おっおう・・そうか。いや〜・・・俺はいいわ。うん・・・おっお腹いっぱいやし。」
って食べるんかよ!!
びっくりした。ちゃんと鳥を捕まえて、しっかり頂くわけやねんな。
もうそれ以上は何もいえへんかった。
いつも学校の食事だけじゃ足りてない子供ら。
それ以上はなんも言えません。
まさに生きる力。たくましすぎる。
2010年9月22日水曜日
2010年9月19日日曜日
やっぱり。
かくいう俺もケニアに来てサッカーを本格的に始めた。
スパイク買って
ユニフォーム作って
その他サッカー用品もらったり
サッカーの試合やイベントに参加することもしばしば。
「サッカーっておもろいな〜!」
「サッカーやっておけばよかったな!」
近頃そんなことを感じてました。
ただ昨日・・・
ケニアに滞在してる日本人たちが集まって、その他のアメリカ、カナダとかが参加するソフトボールの試合に参加してきた。
ソフトボールやったけども、野球おもろすぎる!!
久しぶりにキャッチボールして!
バット振って!
守って!
小学校の時から9年間やってきた野球。
やっぱり、愛してます。
監督にボコボコにしばかれたり、理不尽なことを押しつけられたり
苦い思い出もたくさんやけど、
野球から学んだことはたくさんあるし!
野球を通して得た友もいる!
ただたとえ野球でなくともスポーツが秘める力は無限大!
それはしっかり、俺の生徒らに伝えたい!
ただ俺は永遠の野球少年やなと気付いたそんな休日。
2010年9月18日土曜日
もはやネタ・・・
近頃、自分で「あっオレ仕事したな」
って一番感じたのが
職場のスタッフの顔写真付きメンバー紹介
をつくって、掲示板に張ったこと。
といっても2カ月くらい前の話ですが・・・。
作った理由の一つは同僚である職員たちとのコミュニケーションのため
もう一つは子供らが先生の名前を知らないこと。
「あの先生がこういってた!あの〜女の・・・オフィスにいつもいる〜」
誰やねん!笑
ってな感じで。
でも無理もない。
ここゲタスルはほぼ毎日新しい子供がやってくるし
先生らもいちいち自己紹介なんかしてらんない。
かつ、原則3カ月で子供らはほかの更生学校にいく。
なので別に覚えんでも、覚えてもらわんでもっていう意識が職員でも生徒の中にも生まれてくる。
だから作りました。
でまぁほとんどの職員は作業し始めて1週間くらいで写真を撮り終えたわけなんですが
未だに写真をゲットできていない人が一人。
マネージャーや。
この作業をしてた時はマネージャーは休暇中でいなかったのでとりあえず待つのもなぁと思って
マネージャーの写真なしで掲示板に張ったわけ。
ほんでマネージャーが休暇から帰って来て、
写真撮らせてくれと頼みにいくこと7回。
断りすぎやろ!おい!
ほんで断られすぎやろオレ!
どうも、写真が好きでないみたい。
彼いわく今までに何回も写真撮られてるらしいから。
初めの方はこっちも真剣に「子供らが不思議がるから」、「生徒達が名前を知らないまま離れていくのは寂しい」などマネージャーの部屋まで直接言って直談判してましたが。
最近はあいさつ代わりに、写真撮らせてくれっていうてる。
もはやネタやで。
ただ日ごろ話す機会があまりないマネージャーとのコミュニケーションのきっかけになってることと
頻繁に子供らの前に出てきて、関わっているゆえに子供らもマネージャーのこと知ってるということから。
当分、まだええかなと思ってる。
いつになったら完成すんねやろ。
2010年9月16日木曜日
友達じゃない
ケニアに来て、よく言われることがある。
たばこちょうだい!
10シル(日本円で12円くらいかな?)ちょうだい!
ジュース買ってくれ!
ビールおごってくれ!
とりあえずなんでも言ったもん勝ちやろっていうくらいいうてくる。
俺としては基本、すべて断る。
初対面やし、友達でもなんでもないし、
そもそもあげたいとも思えへんのになんでなんかあげなあかんねん。
そう思ってます。
で、
これが開発途上国の姿なのか、
もともとのケニア人の性格なのか
ど〜も、ドネイション慣れしてるというか
依存してるというか
そんな気がする。
もちろんこれは個人の話であり、組織としての話でもある。
もちろん、仮にそうであれば
そんな状態にした側にも非はあると思う。
ただどうも「もらえて当たり前やろ」という感覚に違和感を覚える。
今日、生徒の一人に
「カバンくれ!」って言われた。
もちろん断った。
だけどそいつはなかなか引き下がらんくて、しつこく言うてくる。
しまいには「オレたち友達だろ!?」
って言い出した。
ほんで俺は上に書いたような背景もあって、ついつい
「俺とおまえは友達でもないなんでもないのに、なんであげなあかんねん!」
っていうて怒鳴り散らした。
いやちょっと言い過ぎたかなって思ったけど俺は先生として来てるわけやしこれでいいんやと思った。
ただ、その生徒は少し引いたものの、まだあきらめない。
日本的な感覚でいえばまず先生というポジションに対して友達っていう感覚は持たない。
ケニア人のフレンドリーさの裏にはこういった意識の不足が生まれるのかな。
郷に入れば郷に従え
っていうけどこれは従えんわ。
大人でも子供でも礼儀とマナーを知らないやつはとことん厳しくいったる。
2010年9月15日水曜日
Fundi
家具作るんもFundi
靴修理するのもFundi
水道管直すのもFundi
とりあえずなんにでも使えます。
で、今日は俺がFundiになった。
というのも、今週は子供ら全員が畑仕事をするらしく、授業は完全になくなりました。
それは月曜日の朝に告げられ・・・もっとはよ言わんかいな!
って感じでとりあえず、今週は子供らと夕方にサッカーする以外はなんもすることなくなった。
なのでかねてからパンクして使えんくなったサッカーボールたちを再利用するために修理したかったのでそうすることに。
修理の仕方は職場の近くの靴のFundiのところに弟子入りして教えてもらいました。
っていうても見てただけですが・・・。
で、昨日、その修理キットをゲットしたので今日さっそく修理開始!
修理キットしめて100シル(日本円で120円くらい?)
なんややり方はチャリのパンク修理と同じ要領で、案外簡単や。
って思ったのも大間違い。
穴ふさげたと思ったらちゃんとふさげてなかったり
ボール縫う時に指おもっきり刺したり
針をボールの皮の部分に勢いよく刺しすぎてチューブにいらん穴開けてもうたり
もう自分の不器用さにびっくりしすぎて心が折れそうでした。
これは慣れないときついな〜。
でもこれに慣れたら、子供らに修理の仕方教えるもありやな〜とか思いながら
とりあえず今日はボール2コ修理。
うち一つはすぐ空気ぬける・・・。笑
オレ負けへん!!
2010年9月9日木曜日
2010年9月8日水曜日
お見舞い
実は配属先の同僚である台所のおばちゃん(推定60〜70歳)が昨日入院したという。
彼女が作るギゼリ(マメととうもろこしを煮たやつ:ケニアの国民的家庭料理)は最高で
彼女の落ち着いた独特の空気にめちゃめちゃ包容力があって
彼女に「Tuonane kesyo! (ほなまた明日!)」と言ったときに
「Haya! (スワヒリ語のあいづちの一つ)」と返してくれる一言がめちゃめちゃ俺を安心させてくれる
そんな彼女のお見舞いにいくということでその場にいた同僚ほぼ全員がお見舞いに。
よくよく思い返してみると最近そのおばちゃんはずっと体調が悪そうやった。
ただ同僚とかと車でどっかでいくなんて今までなかったからなんか若干うきうきしながら
道中、ほぼ遠足状態。
独身でプレイボーイの同僚と
「Mremboo(かわいこちゃん)探すからタウン通れ!」とドライバーにけしかけたりしつつも
いざ病院につくとみんな神妙な面持ちに。
そしてそのおばちゃんが寝てる病室にいっていざ対面すると
おばちゃんは約10人の同僚たちが来て嬉しかったのかポロポロと涙が。
そんで同僚たちも「絶対治るから!」、「早く戻っといで!」、「心配しないで!」など次々と声をかけたり
その台所と一緒にパートナーを組んでるおっちゃんも涙をこらえながら、黙ってお見舞いのパンと牛乳をあげたり
最後にみんなでおばちゃんが回復するようにお祈りしたり
なんかめちゃめちゃぐっと来た瞬間でついつい俺も泣きそうになった。
そんでみんな一通りあいさつして、談笑した後、学校に戻ることに。
で帰り際、そういえばめっちゃ急にお見舞いに行くで!っていうてなんで入院してるんか聞かんかったので
なんで入院してんのんってきいたら「sukari! (砂糖)」って返してきた。
俺も「は?」ってなってよう聞いたら
「糖尿病」やって。
そらあんだけチャイに砂糖入れてたらなるよな!笑
っていうか病名が「砂糖」ってどないやねん。。。
あ〜おばちゃんのギゼリ早く食いて〜!!
2010年7月9日金曜日
ショック・ビックマック
1つ。生徒が逃げた。
うちの職場(更生学校)では結構なペースで子どもらが逃げます。1週間に1〜2人くらい。
で、職場に来て2カ月が経とうとしてますがもう子どもらが逃げることに慣れていたつもりでした。
といか逃げる子じゃなくて、ここに残っている子どもらのことをまず考えようと思ってたからあまり気にしてなかったのかも。
がしかし、ココにきて2〜3週間くらいしたやつが逃げました。
そいつはいつも俺に英語で話かけてくるやつで
いつしか俺と話してたときも、「オレはもういい子になった・・・」っていうやつで
母親と電話したいから、携帯貸してというてくるやつで
更生学校では食べれないドーナツ1つを食べたいがためだけに俺の家の前の草刈りを一人でせっせとやるやつで
なんともやりきれない・・・なにがあったんや・・・あいつ何してんやろか・・・今日どこで寝てるんやろか・・・
めっちゃ気になります。おそらくここに戻ってきたら棒でボコボコにされながら怒られるんやろうけどマジで戻ってきてほしい。
2つ。マットレスぱくられた。
自宅近くに住んでいたもう帰国した先輩からもらうはずであったマットレスぱくられました。
真相は定かではないが、空き家になっていた先輩宅に輩が侵入して、持って行きよったのか、
はたまた空き家ということを知っていた身内が持っていきよったのかわかりませんがとりあえず俺のマットレスない!笑
そろそろ俺の腰限界!!
ってゆうショックがでかいときにショック・ビックマックって言ってた連れを思いだしながらひさびさのブログを更新するオレ。
2010年6月19日土曜日
困ったな。
時間が過ぎるのは早いね〜と思うのは振り返ってみた時だけ。
今、毎日時間が過ぎるのめっちゃ遅すぎです。
なぜなら・・・仕事がない!!笑
いやマジ洒落ならん・・・。
でもまったくないというわけではありません。
一応、最近は朝8:00に出勤して、朝礼的な集会の後、9:00〜10:00まで同僚の授業補助やります。
んで11:00〜12:30 体育をしてます。今はドッチボールやってます。
はい。こっから暇です。授業終わってから16:00まで子供らはご飯食べたり、カウンセリングしたり、掃除したりしてます。
一応学校のタイムテーブルでは子供らの予定はびっしりなのですが、暇を持て余してる子供もちらほらいます。それは同僚がチャイ飲みながらくっちゃべったり、新聞読んだりしてるからです。
あ〜マジぽれぽれ。
今はその流動的なスケジュールと暇を持て余している子供に対して何をしようかと模索中です。
このぽれぽれに慣れるのが怖なってきた。
正直言うとめっちゃ焦ってる今日この頃です。
でも元気なのには変わりなく、毎日一人になるアフター6を楽しんでます。
2010年5月26日水曜日
どっちやろ
職場に赴任して2週間。未だに決まった仕事はありません。
ただ明日から(というか本間は今日からやったんやけど)授業をします。
体育教えます。 始めは準備体操とか教えてぼちぼちやろうかなとおもてます。
でもまぁこっちの先生たちっても日本もそうなのかもわからんけどようわかりません。
僕の職場の学校にはマネージャーと副マネージャー以外がみんな正規の職員ではありません。
ボランティアティーチャー的な人が10人くらいいます。んでみんな授業は教えません。授業は僕と来週に来る(かもしれない)正規の職員のプロフェッショナルティーチャーと呼ばれる人が担当します。でもなぜか彼らは先生って呼ばれてる。
彼らの仕事はいろいろで福祉的なことやったり、事務的なことやったり、食事作るん指示したり、子供と話したり、棒で子供らどついたり本間いろいろ。
でもほとんど仕事せず、茶しばいたり、おしゃべりしたり、新聞読んだり、家に帰ったり。その間、子供たちは暇を持て余していてみんなぼーっとすわったり、じゃれたりしてます。何しとんや本間にと多々感じてます。
んでもまぁそんな俺も仕事ない時はたまに彼らにつられてそんなことしてます。僕は別に彼らのペースを崩すつもりもないし、合せようとも思ってません。ただ自分のやりたいことを邪魔する時はスネます。
そして今日、毎日14〜16時まであるカウンセリング(木の下に100人の子供たちを集めて、先生が一人ずつなんかをしゃべる)時間に彼らが子供たちにこんなことを言いました。
「勉強したり、遊んだりするのは私たち先生のためやあなたたちの両親のためじゃない。あなたたち自身のためだ。だから自分のために何事も一生懸命にやりなさい。」
ええことゆうやん。
いつも子供らにパンとか新聞とか自分の日用品とか買いにいかせてるのに、ええことゆうやん。
感心しました。
まぁそんなことゆうんやったらあんたらが授業したれよとか思ったけど、確かに自分の仕事じゃないからそこまで俺がゆうのもおかしいしね。
なんかここの先生たちにここに来てから少し不信感を覚えてたけどこの話きけてなんか俺も頑張ろうって少し思えました。
ケニアに来る前からいろんな情報を集めて、ケニア人はどんな人やとかいろいろ聞いてたけど、先入観ってよくないなと思いました。
いろんな人からケニア人はちゃんと仕事せえへんとか聞いてたけどそんな人達のフィルターを通してケニア人を見ていた自分に気づいた。
あかんな。もっと自分の目で人や物見なあかん!
でもまぁとりあえず自分の仕事ちゃんとできるようになろ・・・笑
2010年5月18日火曜日
5月12日 シティーボーイ
はい。ど〜も。生まれも育ちも大阪のいわゆるキタ近辺のシティーボーイ、つまり都会っ子です。
ケニアにきてやっと田舎の生活ができると思ったら首都ナイロビはまさかの大都会で高層ビルばんばん建ってるわ、車ビュンビュン走ってるわ、人わんさかおるわで、びっくりです。でも一応、職場の学校は首都の郊外なので学校の周りには広大な畑とグランドと牛3頭がいます。
でもでもその首都からバスで20分くらいのとこにあるのでいつでもデカいショッピングセンターに買物いけます。
そして今日さっそく買い物に行きました。めっちゃ買いました。シーツに、調理器具に、食糧に、そして冷蔵庫。完全に日本とほぼ変わらんくらいの生活が送れる状況になりつつあります。
ケニアに来るまでは田舎の電気も水道もないようなとこで生活したかったとかゆうてましたが、人は自分が生活する環境に適応する生き物だと改めて実感しました。
そして現時点で生活に関してそこまで不自由を感じていません。
家の外にぼっとんのトイレがあったり、井戸から毎日の生活水をくみ上げてる同期の隊員には申しわけないくらいです。
唯一の不自由は職場から貸与されているマットレスが柔らかすぎてここ最近朝起きると激しく腰が痛むこと。腰痛持ちにはかなりつらい、この状況・・・。
5月11日 赴任
長かったスワヒリ語の語学研修が修了し、ようやく待ちに待った赴任日。
協力隊に行くと決意し3年。去年5月の3回目の応募から1年。ここまで辿りつくのに以外に時間が過ぎてた。
長かったような短かったような。でもこれで本当に、本当にスタートラインに立つことができた。
何か手助けしたい。もちろんそう思てる。少しでも子供たちの未来を明るく輝かすことができれば。少しでも子供たちの将来にいい影響を与えることができればと。
でもそれと同じくらい。もしくはそれ以上に自分に何ができるか。自分はどれくらい大きくなれるか。今現在まともにケニア人とコミュニケーションすらとれない自分がどこまでできるのか。この2年間、やってあげるとか、してあげるとかそんな傲慢なことは言うつもりもないし、自分にそんな力もない。この2年間この広大なアフリカの地とおおらかなケニア人の胸を借りるつもりで活動していきたい。
そして約2年間、自分の原点を忘れずに。初心を大切に頑張っていこ。
2010年4月26日月曜日
最高の休日
ケニアで水関係?の専門家でいらっしゃる土居さんのお誘いでナイロビにあるスポーツクラブらしきグランドへ。メンバーはJICA職員の方や日本のNGOの方、現地NGOの日本人の方、よくわからんオランダ人らしい人、あとケニア人2人(内、1人は元プロ)
訓練が終わった3月の頭からまったく体を動かす機会がなかったのでいい運動になった。
といいたいところですがまったくそんなことない。。
オーバーワークもええところ。笑
標高1700m+1か月半の怠惰+体感30分ハーフ+サッカー素人=死にそう。
さっそく右足の縫工筋を激しく痛めました。
でも軽く日常生活に支障をきたすくらいのでHakuna Shida。
子供らにもスポーツ中心に活動するので真剣に体作ろうと決心しました。
んでJACII(あいのりのヒデが来たことあるらしいスワヒリ語学校)で裸で水浴びして昼飯へ。
んでまた昼飯がうまいのなんの!
Yaya Centre 近くにある Hong's restrant にて600シルのとんかつ定食をがっつき、一瞬でごちそうさま。なんか一口目にいった時におもわず「ただいま」ってゆうてしもた。
あと1年11カ月思いやられる。笑
でもひさびさに贅沢した食事でした。
んで次はドミトリー(隊員連絡所) にてKESTESのお話を先輩隊員に聞かせてもらった。
KESTESとはケニア協力隊員が組織しているケニア人学生を対象とした奨学金制度を運営している集まりのこと。
まだまだ口頭だけでの説明でいまいち実感がわかないけど自分もそのメンバーに入った。
一人でも多くのケニア人学生の将来を照らしてあげたい。
ってゆうのももちろんあるけど理屈よりなにより一番にこの話を聞いた時にやりたい、やらねばと思ったから。なんとなくといってしまえばそこまでやけどこういったフィーリングは大事にしたいと思う。
そしてその後はJACIIに帰って昼寝。
そんな充実した一日。
明日からまた語学訓練が始まる。
2010年4月25日日曜日
2年後・・・
2年後の自分はどうなってるんかな。。。
英語もスワヒリ語もぼちぼち話せるようになって、今までよりもケニアで生活することによって精神的にも、肉体的にも強くなってるんかなと思う。
でもせっかくの2年間少しも時間を無駄にしたない。
それは活動面でも、プライベートでも!
だからなんとなく生活するのはやめよう。
ということは目標をたてなあかん。
人生は終わりのない旅とかゆうけど、 あんまりそう思わん。
ゴールとか、目標とかないと何してるかわからんようになってまう気がする。自分は。
ケニアに来る前からある程度の計画はしてたけども頭で考えてることと実際に目で見る、肌で感じることは全然ちゃう。
自分の性格は人の目を人一倍、気にすること。
何をするにしても客観的にみてしまう。
いいことかもしれへんけど、自分で決めなあかんこと、自分で考えなあかんときにも人の目をきにする。
しょーもな。
自分の言いたいこと、やりたいことを人の目を気にしてやらん。
しょーもな。
一見、冷静で理性的な大人にみえるかもわからん。
一見、世間体のいい、そこそこええやつにみえるかもわからん。
でも無難な人間で終わってもうて、特に印象深くのこらん。
あかん、あかん。
絶対しょーもない大人になってまう。
外側は飾って、中は空っぽなやつになってまう。
具体的にどないしたらええんかは正直わかりません。
もう22年もこんな感じやったからたった2年でなんとかなるもんじゃない。
でも「なりたいとずっと強く思い続けてたらいつのまにかなりたい自分になっている」
って聞いた。
よっしゃ、もう人の目を気にしません。決まり。
やったろ!
2010年4月1日木曜日
わーお。
ケニアにて初洗礼です。
まさかの2日間の停電・・・・。
大雨のせいやら、定期点検のせいやら、まぁとりあえず安定した電気を供給できないってことらしい。
気づきました。
電気って大事。
パソコンもいじれない、風呂も入れない、本も読めない、トイレもいけない・・・
寝るしかなくなりますよね。2日ともまさかの9時前就寝です。
でもろうそくの火ひとつだけで過ごす夜ってのも素敵。
停電に気付かされた2つのことでした。
あと本日はスタッフさんによるKaribu Tea Party!
自己紹介 約20分
歓談 約20分
ん~短いね。おしゃべりが。
しかもスタッフさんはお忙しい中、時間をぬって参加してくださったので時間がたつごとに1人ずつフェードアウト。
気づけばいつものメンツ。
でもスワヒリ語でも英語でも微妙にコミュニケーションとれたので素晴らしい時間でした。
明日は半ドンだ!
2010年3月29日月曜日
ナイロビ観光
2010年3月28日日曜日
Let's Party !!
2010年3月27日土曜日
AFRICA上陸
高校時代に夢を見て、大学時代に思いをはせたアフリカにいよいよ降り立った。
第一印象 「暗っ。」
ケニアに来る前にドバイに経由しただけにギャップが激しかった。んでケニア人の落ち着いた空気がそう感じたのかも。
でもここで2年間過ごすと思うと興奮しまくった。いい意味でも悪い意味でも。
さっそく空港で待ってくれていたJICAスタッフの方に迎えられ、約1ヶ月間の語学訓練のため生活するJACIIに移動。
JACIIはあいのりのヒデらが訪問したことで少し有名らしい・・・。
ここは日本人の方が経営されているスワヒリ語学校である。またケニアでの数少ない日本人コミュニティとしても機能している。
これからの1週間は大使館に行ったり、首都のナイロビを回ったりする予定らしい。
このブログは2年間のケニアでの貴重な経験を記録するためと少しでもここでの情報が誰かのためになればと思うことと、そして自分は何を正しいと感じ、何を求めるか、自分を知るための材料にしたい。
しかし、赴任初日に大雨て・・・。誰や雨男は。