2010年10月21日木曜日

それが友達だろ!


今日はケニアの祝日、マシュジャーデイ(英雄の日)。

祝日といえども特にすることないので、学校で同僚とおしゃべりしたり、子供らとホームアローン2(ラストシーン5分くらいだけ)一緒に見ました。


で、そんなこんなしてると俺の任地のすぐ近くに新しく来る日本人ボランティアさんと彼を案内している彼の同僚になるケニア人がうちの学校へ。


そのケニア人(その名もJob)は実は顔見知りで以前に一度会ったことがある。


その時は「電話番号教えてくれ!」、「飲みにいこう!」、「酒おごってくれ!」、「よし、電話してこいよ!」などめっちゃアグレッシブなやつで大のお酒好き。


そんな彼に電話することなく、1カ月〜2カ月(だいぶ曖昧)ぶりの再会。


彼はその日本人ボランティアさんを活動先近くのポリスステーションに連れて行くということで、なぜかオレも来いと誘われ同行。


ポリスステーションに行く目的は治安のあまりよろしくない地域に住むということで何かあった時のためにすぐ警察に来てもらえるように、「ここに住んでますよ!」とあいさつすること。


で、あいさつする予定であるポリステの所長さんは昨晩夜勤であったために不在。


まぁこんなもんだろうといいながらちょうどお昼だったので近くの食堂でみんなで昼食をとることに。


この時、Jobに前からお酒飲みに行こうって約束してたけど俺がなかなか連絡せんかったからお詫びに「ビール奢ったるから飲めよ!」と。


俺は学校に戻ってまだ子供らと遊びたかったからその場はソーダにした。


で、Jobが注文したのはスミノフの原液っぽいボトルビン(300シル)。


100シル(80円)しか持ち合わせていない俺は大慌てで、制止。


オレ「おまえ、それはやりすぎやろ!ビール頼めよ!」


Job「そんなビールなんかで酔えるかよ!俺は強い酒がいいんや!」


オレ「せやかてオレ今金ないからビールでええやんけ!それか違う日にまた出直すか?」


Job「ほんならそうするか。」


で、その後、お店から出て。


日本人ボランティアさんはそこから直接宿泊先へ帰宅。


俺とJobは同じ方角だったので一緒に帰ることに。


で、学校の前でバス降りて「ほなまた今度な!電話するわ!」と俺が言うと、


Job「ちょっと待て。いっぱいだけでもそこの店でひっかけていかんか?」


オレ「あ〜オレ学校戻るからまた今度にしよ!すまん!」


Job「ほんじゃあ金だけでもええからくれ。」


オレ「あほか。なんで金だけやねん。オレはおまえと一緒に飲むんやったら全然酒の1、2杯奢ったるけど金だけやったらやらん。」


Job「頼む!ビール一杯だけでええから!」


オレ「おまえさっき俺と一緒におるときに飲めよゆうたらビールはいらんゆうたやんけ!」


Job「頼む!俺達友達やろ!」


オレ「あほか!そんなん友達ゆわんわ!オレはおまえと一緒に飲むんやったら奢ったるよ!ただ今日はオレは学校に戻るし、お金だけほしいんやったら絶対やらん。」


Job「頼むって。お金が問題なんか?オレ給料入ったら返すから。」


オレ「やかましい!お金の問題じゃないわ!俺がゆってるのはおまえと一緒に話したりして時間を過ごすためやったら酒くらいおごったるってゆうてんねん。ほんでもしまた飲みに行く機会があってお前が金あんねやったらオレにすこし奢ってくれればいいねん。それが友達やろ!」


とまぁこんなやりとりを祝日で行きかう人たちの視線を浴びながら道中のど真ん中で繰り広げていた。


全然悪いやつじゃなさそうやし、本間に飲みに行ったらおもろそうなやつやけど、


お金でつながるような友情はないとオレは彼に伝えたかった。


もっかいあったら絶対ゆうたろ!あのオッサン!


そんでマジで一回飲みに行こう!






2010年10月16日土曜日

親のありがたさ


今日、半年ぶりにおかんとおやじと電話で話しした。


俺が生まれてからこの23年間こんなに親元を離れるのは初めて。


高校も、大学も全然家から通える距離やったし、実家から離れる必要もなかった。


でも日本におる時から家におってあんまりおらんかったようなものなのでホームシックとかはない。


ただ久しぶりに親と話できて正直嬉しかった・・・というよりもホッとしたって言った方が正確かな。


まぁおやじとは相変わらず何喋ってええかわからんかったけど。笑



ケニアに来て、一人暮らしして、親のありがたさを感じたことが何回あるか。



数えきれんくらいある。



家帰ってきて飯ができてる、


風呂にいつでも入れる、


風邪ひいたら看病してくれる、


他にも見えないところで支えてくれてる。


なおかつ、今教師としてすごく感じることが子供の成長はほとんどの場合、親によるものであること。


今、俺がこうして生きていられるのもオカンと親父のおかげやな。


つい最近までうっとおしいなぁとかやかましいなぁとか思ってたけど、


親ってそういうもんやねんな。笑


オカン、親父、ありがとう。


ってこれに気づけたことで少し大人の階段を上った気がする。


いや〜しかしこれは絶対親孝行せなあかんなぁ!

















2010年10月5日火曜日

This is Kenya



近頃、語学もなんとなくわかってくるようになって、授業もなんとかこなせるようになってきた。


といってもまだまだ子供らの言ってることがわからん時も多々あるし、授業もこなせてる程度。



ほんで今日、日本人である俺とケニア人の感覚の差を感じた。



俺は基本、毎日朝の11時から授業を開始する。



さきに他の先生らの授業を受けている子供らに


「11時になったら教室に集合。遅刻しないように。」と毎回必ず伝える。



ほんでまぁまだそんなにきっちり時間に来るわけでもなく、生徒らはゆっくりくる。




これは時計が別の場所にあって、なかなか確認しづらいから仕方がないことやと思ってる。



ほんでもうひとつ授業前に子供らにいうことがある。



「もし他の先生に用事を頼まれても、授業があるからと言いなさい。それでその先生が怒るのであれば俺に言え。」



そうです。先生らは子供らにドーナツ買ってこいだの、牛乳買ってだの言う。



子供らも嫌がったりするやつはおらず、なんやったら学校の外に出れる興奮さでうきうきしてるくらい。



ほんでだいたいそれで子供らは授業に出なかったり、そのまま違う場所で遊んだりしてる。



このお使いシステムを否定してるわけではない。



なぜなら生徒にお使いに行かせるということは先生がお金を子供に任せるということ。



お金を任せるということは責任を任せるということで、ある程度の責任を任せるにはある程度の信頼関係がないとあかん。




ただ授業あるやつがほったらかして行くほどではないと俺は言う。




もちろん、先生らにもその件は言ってあって承知してくれてる。




ただ子供らも、先生らも、「11時に授業を始める」といっても




子供らは「すぐ戻ってくるから!」といったり




先生らは「すぐに戻らすから!おい!おまえ、すぐに戻ってこいよ!」という。




ちゃうやろ。行かさんかったらええんやん。




おもわず、「This is Kenya」と皮肉をこめて口走った。




俺が確実にマイノリティなのはわかってる。




ただここは絶対譲らん。だっておかしいやん。




どこの国に、授業の代わりにお使いいかす教育があんねん。




今日、そのことを生徒、先生がある前で言ったけどたぶん変わらんやろうな。。。




これも言い続けるしかない。オレ絶対負けへん!










学校間交流



ゲタスル学校にはおっきなグランドがある。

サッカーグランド一面とって、ほんでまだバレーボールコートみたいなスペースとまだ他に子供らが遊ぶ場所があるくらい。


そのせいか、定期的に近隣の小学校が使いに来る。

彼らは体育やったり、サッカーやったり、体をおもっきり動かせる時間を楽しんでる。


うちの生徒達もたまに交じることがある。


まぁスケジュール上は他にすることあるんやけどね。


ほんで今日。


学校対抗のサッカーの試合があった。


いつもと同じ相手ではなく、他校の生徒と試合。


もう白熱にするに違いない。

出場する子供らももちろんやけど、出てない子供らも一緒に盛り上がる。


そこらへんの一致団結感はもうすごい!


ほんで俺も「いけいけ〜!」と盛り上がっててると


よく見たら相手チームに大人がおる。おそらく学校の先生だろう。


もうそうきたらこっちも出なあかん!


ということで俺と同僚と二人が入って、試合再開。


もう相手チームにも自軍にも子供がおるのに全く大人げない大人たち。


もうみんな必死。


俺もなんとか勝とうと思って、相手チームの先生らにガチディフェンス。


うちの子供らは俺と同僚が入ったからもちろん、勝つに違いないという雰囲気。


今更、素人なんですなんて、子供らの前で言えない・・・・。


そのせいでさらに必死。。。




試合は結局、5−6で負けてもうたけども、ものすごい白熱してめっちゃ楽しかった。


やっぱスポーツは真剣にやらなおもんない!


子供らにもちゃんとやれ!って口で言うのもいいけどたまにこうやって背中で語ることも大切やな。


たまには大人げないところ見せていこう!



って土日、今日と3日連続、風邪を患いながらのスポーツで疲れがMAXに来て、フラフラなオレ。

2010年10月1日金曜日

今日はとりあえずダラダラと書きます。


今週、最後のトランスファー作業を終えて、約100人の生徒達がゲタスル更生学校からケニア全土の更生学校へと旅立った。


もう寂しいこと。

朝起きて、学校から聞こえてくる騒がしい声。


学校にいって挨拶してくる元気なやつら。


現在の総生徒数35名。


少なっ!!笑


でも生徒らが少ない分、しっかり生徒らと関われることは確か。


一人ひとりしっかり関わっていこう。


た〜だ今週なぞの頭痛、鼻水、咳の症状に襲われ、いまいちテンション上がらず・・・。


そして火曜日にしんどさのピークが来て、昼に授業終わって、家に直行し、爆睡。


しかも、晩飯も作る気がせず死にそうになってたところ隣人のキョウコさんにうどん作ってもらうっていう。


人間、弱ってるときに地がでるというか、急激に日本食を欲したため、SOS。


キョウコさんありがとう。


いや生徒にも、キョウコさんにも申し訳ない。本間健康一番やで。



ほんで、今週からまた授業が再開したわけやねんけど、


うちの学校の特徴からすれば、常に新学期が始まるような空気が漂う。


いい意味でいえば新鮮。悪く言えば浮ついてる。


そんな中で授業を始めるともうてんやわんや。


さすがにでかいやつらは先生がいうことを聞いて、それを行動に移せるけど。


ちっこいやつらは全然あかん。もうチャランポランばっかで、何をゆうても筒抜け。笑


そこをケニアのmwalimu(先生)たちはkiboko(棒)で子供らを抑えつけるわけやけども俺は好かん。


ただ暴力を否定してるわけではない。事実、俺も中・高とスパルタでやられてきたから。


ただモノを使うのが気に食わん。殴るんやったら自分で殴れ。殴るんやったらその痛みを自分でも知れ。


こう思う。


あともうひとつの理由がこの間、日本人の人と話をしていて気付いたことやけど、


同じ職場の中で暴力を振るう先生がいれば、生徒はその他の暴力を振るわない先生がなめてしまうこと。


事実、俺以外のケニア人の先生もその理由で威厳が無くなってしまっていた。



ケニアの学校からkibokoを取り上げるのは不可能。そしてそんなつもりもない。



だから俺は必要とあれば、子供らにゲンコツ食らわす。



但し、愛を持って。


いやしかし大変やな!また3カ月、しっかり躾していかな!


怒って、ほめる!


これの繰り返ししかない。