2011年6月17日金曜日

The Day of African Child

ということで本日、6月16日はアフリカの子供の日。

ということを俺は昨日の時点で知る。

えらいこっちゃ子供らになんも準備してないと気付きつつ、果たして同僚らもそれに気付いているのかと今日の朝出勤。

案の定、「えっそうなん?」というリアクション。
俺らAfrican Childにがっつり関わってる職員として、最低やなってなる。

ほんでじゃあ今日は祝日なのかって聞くとどうやらそうでもないらしい。

なので子供らの日常の仕事と授業を続けることになる。

朝の集会の時点でその旨を伝えると子供らから大ブーイング。笑
そらそうですもん。今日はあなた達の日なんですから。

ほんでじゃあ今日は子供らは肉食べれるのかな?ソーダ飲めるのかな?と同僚に聞くと、「ボスがいないから、ないやろ」の一言。
おーーい!

とか言う俺も完全に忘れてたので何も言えず。

そんなこんなでいつも通り続ける授業。

じゃあせっかくなのでっていうことで授業の1コマを使って、昨日たまたま調べた、The Day of African Childについて語る。

この日の起源は1970年代の南ア。

当時、南アの子供らは政府や学校の職員に対して、教育の質の向上と彼らのmother tongue(詳細わからず)を学校で適切に教えられることを訴えていた。
この時、彼らがどんな教育を受けていたのか定かではないがわずか10代の少年・少女が政府や学校の先生に対して、抗議を行っていたことから相当な劣悪なものであったと推測する。

そして1976年6月16日。南アの地方都市で児童・生徒らを主としたデモ行進が始まる。
彼らのデモ行進が果たして平和的なものであったのか定かではない。
しかし彼らを取り巻く、警官隊やセキュリティーガードマンらが彼を鎮圧するため、100名以上の死者、1000名近くの負傷者を出す結果となる。
おそらくほとんどが10代の子供たちであったであろう。

そして約20年ほど前に現アフリカ連合によって、当時、教育の改善を訴えて亡くなった犠牲者と彼らの功績を称える意味で、The Day of African Childが成り立った。


すべての子供達に教育を受ける権利がある。

それが彼らの将来を耕すものになるから。
それが彼らの表現の幅を増やすから。
それが彼らの人生を豊かにするから。

そんなことを確認した一日。

ほんで、ごめんなゲタスルの生徒達よ。

2011年6月14日火曜日

すてき授業

先週末は素敵なイベントが続いた。
朝まで覚えたての徹マン(チョンボ4回やる)
ドミでBBQ(遅れて、残りもん食べる)
ワールド・カップ(16カ国のチームが集まったチャリティーサッカーイベント)

おかげで朝一番でドミから任地に戻ることになり、眠気眼ながら出勤した今日の朝。

今は子供らもテストが終わり、あとはトランスファー(他更生学校へ移送)の日を待つのみ。
せやけど授業はいつも通り続ける(ようにしてる。笑)
というのも毎回、テストが終わると教員・生徒ともに授業をやる雰囲気ではない。
その理由は以下にある。
・約1~2週間ほどテスト週間のため、授業が完全になくなる。(生徒らもここゲタスルの変則的な授業習慣を忘れる。ただ日本でもテスト後の授業って、「山場を乗り越えた」感が生じて、どこか集中しない気がある。それと同じようなものを感じる。)
・教員(といっても俺とジョロゲ)ですら若干、あと1〜2週間で移送される子供らに何を教えるんだというような空気が流れる。且つジョロゲに至っては普段の仕事量に比べて、テスト期間は半端ない仕事量をこなす(といっても日本基準ではおそらく並程度)、故に彼はそれなりの達成感を感じる+身体になんらかの異常(頭痛・腹痛・風邪・採点作業による腱鞘炎)をきたすため、テスト後には多大なる影響を授業に及ぼす。
つまり、彼は適当な授業する、最悪、授業やらない。

ただそんなこんないうてもClass goes on。

俺ももっかい気引き締めて。ジョロゲはほっといて。

ただこの時期は1クラスが50人になる日もあれば、マヒンディ(トウモロコシ)の収穫やということでいきなり授業の代わりにマヒンディの畑仕事に切り替わったりする。
加えて、生徒らのトランスファーの日は本部(更生学校を管轄している省庁)から移送作業の予算が下り次第、始まるため、彼らがいつ学校を出ていくのかマネージャーですら全く読めない。
1週間で予算が降りる時もあれば、1カ月以上待たされる時もあった。なので週をまたぐような授業は行えない。

つまりは計画通りにものが進まないということ。

であるからして、できるだけ1日で完結できるような授業が望ましい。

ということで気付けば非常に前置きが長くなったが今日CLASS7&8に日本食紹介をすることにした。

今まで子供らとの雑談の中で、日本文化紹介というようなたいそうなものではないけども日本のことについてなんでも話はしてきたが改めて、「日本文化紹介」ということで授業を行うのは初めて。
自分自身もめちゃめちゃ新鮮ですごいおもろいし、授業なのでいろんなマテリアルを準備して行うため、準備段階ですでにわくわく。

ただマテリアルといっても残念ながら俺自身ここケニアでめったに食えない日本食を子供らにも食わしてやることはできず、教員・生徒ともにフルに想像力を生かして、説明・聴講する。
ただ前日にパソコンにダウンロードした日本食写真を子供らに見せる。

〜かつ丼編〜

俺「これはかつ丼や!ごはんの上にな豚をあげたやつを卵でとじたやつをのっけるんや!めっちゃうまいぞ、これ!」
生徒「コレ、ケニアでも作れるんじゃないの?俺一回やってみよ!」

〜たこ焼き編〜

俺「これはたこ焼きっていうてな、俺のホームタウンの食いもんなんや。ギゼリ(俺の大好きなケニア料理の一つ)ってキクユ(ケニアの代表的な部族の一つ)の伝統料理やろ?あんな感じや!ほんでコレ、作るには特別なフライパンが必要でな、丸い形してるやつでな。」
生徒「知ってる!それ、ケニアでも売ってる!俺ん家にもあるし、それ!」

〜寿司編〜

俺「これは寿司っていうて、ご飯の上に生の魚のせた食いもんや!魚もな日本は島国やから昔からたくさん魚獲れて、種類もいっぱいあるんやぞ!ほんで日本人みんなコレめっちゃすきやぞ!」
生徒「生の魚!?考えられへん。日本人は生の魚食べるん?腹壊すって!」

といった感じで、ここケニアでは生の魚を食べる日本人に対して、驚愕とドン引きする。

何回か日本食の写真(ほぼ俺が食べたいもの)を見せた後に子供らに箸体験をさせた。

そして今日俺が一番驚いたのはこの時やった。

ケニアに売ってるラムネみたいなんを皿と皿に移すっていうのを子供らにさせた。せやけどさすがにちょっと難しいやろうなという気持ちと子供らがぎこちなく箸を使って、ラムネを落としたりというのを想像してた。

ところがどっこい。

子供らは喜んで、キャッキャ言いながらやっとるとこまでは俺の予想通りやったが、ほぼ全員、箸の使い方が様になってる。笑
もちろんたまに落としたり、変な箸の掴み方はするものの、うまいこと使ってた。ちょっと悔しくなって、無駄に皿と皿の距離をあけるも難なくこなす子供ら。

ちょっと予想を覆されて、面白くない俺ではあったが子供らは異国の文化に触れて、楽しそうにしてた。

知らない世界について興味をもって、「へぇ〜」っていいながら、知らない世界について知るってことは本間に素敵なことのような気がする。
それが将来、役にたつ、役にたたないは別にして。

2011年6月6日月曜日

For my own life

ここケニアで俺自身の人生をより素敵なものをするために新卒のペーペーにも関わらず、青年海外協力隊という素晴らしい制度を使わせてもらい、今まさにケニアにいる。

日本を離れて見えること
受け身な学生時代から能動的な協力隊生活
実家を離れて、海外で一人暮らし
上下関係なく接してくれ、日本・世界でものすごい経験をしてきた同じ協力隊の人たち
ナカダリカ・・・

これらを通じて見えるものが本当に多い。

あまりにも刺激的すぎて、自分に起こったすべての事象を消化しきれず、消化不良を起こすこともしばしば。
自分というしっかりとした「芯」がなければ、いろんなものに振りまわされてしまいそうになることも。

ここケニアで見る・起こる「違い」をおもしろいと見るか、否か。

断固、前者。
自分の目に映るものを否定ばかりして、何になる。
そんな小さな人生にしたくないし、そんな小さな世界をみたくない。

大きな人間になりたい。
そのためにはより多くの物・人と関わり
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じる。

最近、そんな自分の人生のテーマを掲げつつある。

なぜ、こんなことを書くのか。

決して、日本の税金を利用して来ているボランティアが活動とは関係ない、「旅行」に精を出すことを肯定しているわけではない。
断じて、そんなことはない。

7月 Mt. Kenya (アフリカ大陸 第2の山 5000m 級)
8月 Kilimanjaro (アフリカ大陸 最高峰 5895m )

登ってきます。
生きて帰ってきます。
最近、日本のおかんから電話がかかってき、最近見た映画の素敵な名言を残してくれた。

「山に捨ててはいけないのはゴミと命」


俺の人生に大きく刻まれることは間違いない。
活動がそっちのけになってしまいそうになるほどわくわく感がとまらない。





2011年6月1日水曜日

Have a nice....

明日はケニアの祝日。

その名もMadaraka Day。

話聞いたらようは「独立記念日」だそう。

子供らは朝にマンダジ(小麦粉練って、揚げたやつ)とチャイ(ミルクティー)を取って、

お昼はチャパティ(小麦粉練って、焼いたもの)を食べれるそう。

お祝いやね。

明日は授業はないけど昼にチャパティでも食べに学校いこう。

今日もまた子供らとサッカーして疲れ切った体のまま、

学校を出るときに同僚にあいさつ。

"Have a nice Holiday!"

いつも英語なんか使わんのに、不意に出た一言。

ええ言葉や。

自分でゆうたくせに、なんか胸にジーンときた。

「ええ祝日を!」

なんなんやろな〜この一言に込められたものは。

相手を思いやった言葉であって
明日休み!っていう期待感も混ざってる。

でもこの言葉は日本にはないな。

なんか日本で明日、休日やとか、祝日やとかなって、

人にこんなんゆわん。
なんか日本って休日・祝日って休息する日。
って感じやもんな。

なんなんやろな〜この言葉に込められたもんは。

気になる〜。

Anyway, Have a nice Holiday!