2011年11月25日金曜日

更生学校カップ開催!

ということで無事、開催されました、更生学校カップ。

ホストのカベテ更生学校とうちのゲタスル更生学校。

カベテの隊員、ベンゾーさんと準備段階からいろいろと不安材料を抱えながらもなんとか無事終えることができたことに一安心。

当日はケリチョ、ワムム、オザヤ、カベテ、ゲタスル更生学校に加え、キアンブーリマンドホーム、ティカレスキューセンター、ナイロビ日本人学校の全8校が集まった。

8時半開会式の予定やったけども8時20分の段階で日本人学校1校のみが集合。
ホストのカベテ、ゲタスルですら遅れるという始末にかなり焦ったものの、30分遅れで開会式も無事始まり、その後はプログラム通りに進んだ。

始まりはこそ、(個人的に)バタバタしたものの、子供らも、先生らもいざサッカーが始まるともう真剣そのもの。

各学校、これまで練習してきた成果を発揮するべく、優勝トロフィーを掴むべく、子供達、先生達共にとても熱くなってた。



結果はと言うと、ワクブワカップ(シニア部門)ではカベテ更生学校、ワドゴカップ(ジュニア部門)ではワムム更生学校が優勝トロフィーを掴んだ。

残念ながら我らがゲタスルはワクブワ、ワドゴ共に初戦敗退を喫してしまったが彼らにとっては本間にええ機会になったと思う。

俺はもともとサッカー経験ゼロのど素人で、ゲタスルでも子供らとほぼ毎日サッカーしているものの、実質、指導をしているわけではない。
ただ毎日、子供達が必死こいてボール蹴っている姿をみていると彼らに他校の生徒とサッカーする機会や「勝ち」にこだわったガチンコ勝負ができる機会を与えたかった。
そういう意味で今回の大会は本当に彼らにとってええ機会になりました。

また当日はたくさん協力隊員、JICA職員さんが足を運んでくれ、審判をやってくれたり、子供達と接してくれたり、といろいろお手伝いをしてくれ、大会がさらに盛り上がりました。
当日、来てくださった方、本当にありがとうございました。

そして忘れてはいけない、スポンサーの方々。
実は今回、スポンサーの方々にはこの大会を開催するにあたり、日本から子供たちが使うサッカーボールや優勝トロフィー、昼食代などをサポートして頂きました。
今回の大会の趣旨をご理解いただき、快く大会の運営費をサポートして頂いたスポンサーの皆様には本当に感謝です。
心からお礼申し上げます。

以下はサポート頂いたスポンサーの方々です。

西巣鴨中学校地域スポーツクラブ 岸弘之様
http://blogs.yahoo.co.jp/takumi_kishi
http://www.toshima-taishi.com/sports/sc_nishisu.html

萩中・羽田サッカークラブ 泉優二様
http://volandol-junior.sblo.jp/

大森キッカーズ
http://oksc.web.fc2.com/

林徹郎様
http://www.volandol.jp/index.php

特定非営利法人 スローソサエティ協会
http://www2.memenet.or.jp/slowsociety

ナマケモノ倶楽部会員 黒田瑞穂様
http://www.sloth.gr.jp/

ナマケモノ倶楽部会員 岡澤成郎様
http://www.sloth.gr.jp/


スポンサーの皆様、本当にありがとうございました!


今後、この更生学校カップが継続されるかはまだどうかはわかりません。
ただ今回の大会を通じて、学校の先生同士の交流もあり、「きっかけ」づくりはできたと感じてる。
この大会が「第1回 更生学校カップ」なることをひそかに期待して。

以下、大会の写真集。
開会式の様子

ゲタスルボーイズ
ゲーム前のあいさつ
ゲタスルボーイズ ワクブワ達
行けー!!
ゲタスルvsワムム(ワドゴ)

日本人チームも参加しました。
優勝カップ贈呈





2011年11月11日金曜日

更生学校カップ!!

と題して、来る11月19日(土)にうちの配属先と対面にあるカベテ更生学校がホストとなり、ケニアにある更生学校やその他チームを集めて、ガチンコ・サッカー大会をするわけである。

始めは数人の隊員で何の気なしに、更生学校カップやりたいなーっていう完全な思い付きから始まったこの企画。

出場チームは全部で8チーム。

ワドコカップ(ジュニア)・ワクブワカップ(シニア)の2リーグで行い、トーナメント形式で優勝を争う。

うちはジュニア・シニア共に出場し、更に俺は日本人チームとしてワクブワカップに出場する。

その他の隊員の頑張りもあり、スポンサーも見つかり、運営費も確保できた。

いつの間にか当日は生徒、教員も含め400人近い参加者が集まる大規模な大会になる。

あとは当日、みんなで楽しむだけ!

さーて、あともうちょい細かいとこ詰めてこー!

楽しみー!



2011年11月9日水曜日

おかんがケニアに来る


10月20日から約10日間。

日本からおかんと弟が来ました。

ケニアに行くことが決まってからおかんを1度ケニアに呼ぼうと考
えていたわけで、おかんも俺がケニアに行くことが決まってからケニアに行ってみたいと言てたわけで。
散々迷惑かけたおかんに少しでも親孝行できればとも思い、なんやかんやで結構楽しみやったわけです。

さすがに初海外旅行に挑戦するおかんを一人で来さすわけもいかず、暇をしている弟も半ば強制で呼んだ次第です。

ケニアに着くなり、久しぶりの再会を果たす俺に対して二人が放った一言は「遠いわ!もう疲れた!」でした。
コラコラ確かに遠いところをよく来てくれたけどもそれが久しぶりに会う息子もしくは兄貴にかける言葉かい!笑

それから休日にも関わらず同僚がおかんらを迎えるためにわざわざ空港まで学校の車を出してくれ、ナイロビの自宅へ直行。

その道中で地元大阪の輩以上に交通マナーの悪いドライバーたちや途上国らしからぬ高層ビルが立ち並ぶ景色、はたまた空港のすぐそばで出迎えてくれるキリン・シマウマなどの動物たちを見ながらただひたすら驚くおからんらの反応を楽しむ。

この10日間での予定はざっとこんな感じ。

・マサイマラで野生動物を見る。
・俺の活動先である学校で子供達に100人分のハヤシライスを作る。
・ケニアにある孤児施設・マトマイニを見学。(日本のある番組で取り上げられてたらしい)
・俺の活動を見る。

あとは写真でどうぞ!



おかんも一緒に体育の授業。



図工の時間

マトマイニの子供らと
マサイマラにてゾウ!
だらけきったライオン 迫力ゼロ。笑
もうええやろ言うくらいのヌーの大群
サバンナでの朝焼け これがあるからサファリはたまらん!
マサイの村訪問 なぜか乗りで一緒にマサイダンス
ハヤシライス 約100人分!
みんなテンションあがりまくり!
みんなもう必死



おかんも、始めは文句いうてた弟もケニアを楽しんで帰ってくれました!


さてさて、活動再開。

2011年10月6日木曜日

やっとかよ!



というのも俺の家の近所に住む副マネージャーの末っ子。

その名もオバマ。

んもぉーめっちゃかわいいすぎる彼。

いつも大好きなお母さんをおっかけ、学校まで走ってきたり、寒い空気が漂うミーティング中にきゃっきゃ言いながら入ってきたり、俺の家まで来て、お菓子をねだったり。

赴任当初はこのオバマがかわいすぎて、オバマを見かけたらほぼ100%の確率で遊んでた、俺の癒し。

ところがある時を境にオバマが俺を見かけると逃げ出すようになる。

オバマが逃げ出すのを見る俺は「さては遊んでほしいんやな!!」と更に追いかけるも、しまいに泣きだす。

なんでやオバマ!

それからというものの、オバマに近寄ることもできない俺は寂しい任地での生活を送ってた。

オバマを見つける。→俺追っかける。→オバマ逃げる。→俺更に追っかける→オバマ泣きだす→俺しゅんとなる。

こんな感じでした。

ある日、お母さんに抱きかかえられてるオバマに懲りず声をかけた。
案の上、泣きだすオバマをあやすお母さんがなんでそんなに俺を怖がるのか聞いてくれた。

するとびっくり「俺がオバマを叩いた」って言う完全に見覚えのない容疑をかけられてた。
しかし完全にそう思い込んでるオバマにとっては俺は怖い存在でしかないことは事実。

その日から俺はオバマの信頼を取り戻すために学校からパクってきたボールで遊ばしたり、お菓子攻撃で攻め続ける。

そしてとうとうこの日がやってきた。
つい昨日の話。

何の気なしに俺の家に来たオバマを抱きかかる。
オバマ、全く怖がってない!!

やったぞー!!

あまりに嬉しすぎた俺はオバマにいつも以上にお菓子をあげてると、「ましゃるー」ってオバマが俺を呼ぶおまけ付き。
俺の名前覚えてくれたんかー!!

あまりに嬉しすぎて、その日はいつも以上にオバマを遊びました。





2011年9月27日火曜日

はーふ あんど はーふ


またまた前回ブログからだいぶ期間が空いてもうた。

・ザンビア任国外旅行満喫
・大学の先生のケニア訪問
・KETESふれあい祭り
・21年度2次隊クワヘリ
・サッカーワールドカップ in KENYA
・ゲタスルボーイのトランスファー

などなどイベント盛りだくさんでお届けしました。
全部楽しかった!
以上。

雑か!!


ということで、今日、21−2をドミで見送りました。
あまり深く関われた人は少なかったですが寂しいものです。

21−2というと大学の同期がいる隊次でもある。

2年前に関空であいつらを見送ってからもう2年経つのか。
時間が過ぎるのって本間はやい。

2年間、本間にお疲れさんでした。
帰ったらとりあえず日本を満喫して、さらなる活躍を期待してます!


ということは自分も残す半年っていうことになるんやな。

ある程度の区切りがくると毎回振り返るがこの1年半、自分はどれだけ大きくなれたのか。
ただ年食っただけなのか。
気になるところ。

ただこれまで本間に雑念エンターテイメントな時間が多々あったと記憶してる。

残りの任期は自分のやりたいこと、できることにしっかり集中していきたい。

帰りたい気持ち半分、まだまだケニアにおりたい気持ち半分。

今週、ゲタスルボーイのトランスファーが完全に終われば、残すは2ラウンド。





2011年8月26日金曜日

ざわわ、ざわわ

ブログから遠のいて、久しく。

8月の頭には隊員総会(ケニアのボランティアが一同介して、行う催し)
その後、ケニアで有名なケニア山(4泊5日で)登山。
8月もイベント(主に自分の旅行がメイン)目白押し。

そんなケニアの8月はいわゆる夏休みに入り、学校の生徒や学校に配属されているボランティアはみんな夏休みを満喫する。

とは言うものの、ゲタスル更生学校に休みなどあるわけもなく、いつもと変わらない日常でここにはある。
ということで休みをもらうも休み明けはしっかりと授業がある。

ここゲタスルに休みはないというものの、ジョロゲ(授業担当教諭)は研修のため、8月、丸々いない。
なので今は日本人の俺一人だけで授業を回す。

これはチャンスだとばかりに好きなことをする俺。

といっても遊んでるわけではない。

これまでやろうやろうと思っててできへんかったことをやる。

・タコあげ(一部にオオウケ、一部はタコをずるずるひこずっただけ。笑)
・『それが大事』by大事MANブラザース を歌わす。(自分で歌わしてる癖に、自分で感動する。)
・低学年向けの読み書きの授業

そんなこんなで充実した日々であった。

それで、今日は久しぶりに体育でもやろうかと子供らをグランドにつれて行った。
一応、体育なので授業っちゅう感じで行ったが、子供らは全然そんな気一切なし。笑

「俺道具取りに行くから、ほんなら先、グランド行って待っとけよー」って子供らに言う。

ほんでグランドに行って見ると、ほぼ全員の子供らが落ちてるMiwa(サトウキビ)を食ってる。
正確に言うとサトウキビみたいな形をしたMahindi(とうもろこしの茎)を食ってる。
なので甘くはない。

まぁ腹減ってるからしゃあないかとぼちぼち子供らを集合させる。
そんでから名簿を読み上げ、点呼をとる。

「ラジャブ!」
「ムワンギ!」
「ケネディー!」
「むしゃむしゃ・・・」
「オチエン!」
「モハメッド!」
「むしゃむしゃ・・・」
「カランジャ!」
「むしゃむしゃ・・むしゃ・・・」


うおぉぉーい!!おまえら食いすぎや!!
授業やから食うんやめろ!!
授業が終わったら食え!

ってな感じのやり取り。

そして点呼後。

いつも通り、「じゃあグランド2周やぞー!」と声かけるも、みんなだるそうに地べたに寝そべって、ひたすら食べる。

「コラコラ、ええ加減にせんかい。
授業終わったら食べれるんやから今はほっとかんかい。」

と刻一刻と授業の終わりの時間に近付く。
そんなのおかまいなく、食べることに夢中な生徒らはぼちぼち走り始める。

「おっしゃ、それでええんやがな、歩くなよー、頑張って走れよー!」

そんなやり取りもつかの間、走るふりをして、その勢いでまた新しいサトウキビを取りに行く生徒。

しかもほぼ全員。

それを見た俺はもう我慢の限界。

「おっしゃ、わかった!!おまえらそんなに食いたいんやったら、腹いっぱい食うとけ!!もう今日の体育はなしじゃ!」

とぶち切れる。

そのぶち切れた勢いで、家にたばこ吸いに帰ろうとする、俺。

そして、そこで何人かの生徒が俺のとこに走って寄ってくる。

子供「先生!もどってきて!あいつらにちゃんと体育するように言うから!」

俺「知るか!もう今日はやらん!腹いっぱいくとけや!好きにせえ!!」
(内心、生徒が駆け寄ってきてくれて、ちょっと嬉しい。)

子供「先生!頼む!ほら!あいつらちゃんと走ってるやん!」

俺「もう遅い!俺がせえ言うた時にせんかったやろ!今日はもう知らん!」

俺はそのまま、家に戻り、一服。

あ〜俺、大人げないな〜、そら腹減ってて、目の前に食い物あったら食べるよな〜と思いつつ、高校の野球部の監督を思い出す。
そう言えばこんなんやったな。
監督にぶち切れられて、グランドから去ろうとする監督を引きとめる。


そんなことを思い出した後、一応、グランドに子供らだけをおいて帰るのはまずいなと思い、グランドに戻る。
すると、子供らが食いながらやけどもちゃんと走ってる。
「おっ」となる俺。

ただ残念なことに時間が迫り、結局、体育はせんまま、今日は終わった。

世間は夏休みといえど、ここゲタスルに平和が訪れることはあるのだろうか。笑

しかしこの授業後の教室掃除がいつもよりやけに手際よく行われていたのは言うまでもない。

2011年8月5日金曜日

チョコラー

っていうのはスワヒリ語で「ストリートチルドレン」のことを意味するらしい。
あまり良い意味では使われてません。
正確に言うと、チョコラー自体は「拾う」という意味なのだが。

日本人の監督がケニアの有名な都市の一つであるティカのスラムで撮影した映画「チョコラ」もこれから来ています。
確か。http://www.chokora.jp/

ちなみにこの映画に出ている子供が自分が活動している学校にいたことも。
直接の面識はありませんが。

ということでこの「チョコラー」。

うちの学校にはこのストリート上がりの子供がいっぱいいます。
なんせそういった子供らを保護している政府の施設なので。

彼らがストリートにでることになった背景は様々。
親を亡くして、身よりがない者。
親とケンカして、家出した者。
学校が嫌で逃げ出した者。
本間色々。

日本では考えられへん。
でもこう見ると本間国がちゃんと子供をケアしてるなって感心する。

彼らのストリート生活は本間に凄まじい。
10代の子供らがストリートでいわばサバイバルをしているわけや。

で、そのストリート上がりの彼らが見せる行動が顕著に見えた一日やった。

昼食後の点呼の時。
子供らが点呼のためにボチボチ集まっている時。

そこに2人の生徒が点呼で集まる他の生徒らの前を通り、熟れすぎて腐ったアボガド約10個を捨てるために焼却場へと運んでいた。
(前にも書いたがこのアボガドは結構問題になっている。)

その瞬間、それを見た、約50名の子供らがそのアボガド目がけて、猛ダッシュ。

とっさに「それは腐っているから食うな!」って言いに行ったものの、目がアボガド一色になって、猛ダッシュする約50人の子供を止めれるわけもなく、彼らは我が我がとアボガドを奪い合う。

アボガドがぐちゃぐちゃになって、手がべちゃべちゃになってる。
ほぼ液体になって地面に落ちているアボガドを舐めるようにして食べる子供らも。

本間、一瞬の出来事やったけども、正直ちょっとビビった。

これが初めての出来事ではなく、むしろ日常の出来事ではある。

この時、同僚の先生らはめちゃめちゃ怒ってた。
「おまえらここに来てもまだそんなことするんか!ここはストリートじゃないぞ!」って感じで。

ただ俺は真っ向と彼らを怒ることができんかった。
日本的にいえば彼らの行動は「やらしい」が適切だろうか。
(これは関西だけの表現か?)

ただケニアにはそんな環境で育ってきたこいつらみたいなやつがおる。
そうせざるをえないやつらがほとんどやったやろう。
体に染みついてるんやろうやと思う。
あのアボガドに向けて走る勢いを見ると。

う〜ん。難しいな。

2011年7月22日金曜日

Kasyioka

っていうのはこないだの書いた、うちの学校の給食のおっちゃん。


赴任したての時は酒の匂いプンプンさせて、子供に怒鳴り散らすわ、どつきまくるわで、隙あらば、学校出てぶらぶらしてた面倒くさいおっさんやと思ってた。

が、しかし最近、このカシオカとかなりのBest Friendっぷり。

年は50歳は軽く超えてて、はたからみたらおじいちゃんクラス。

これは前にも書いたがカシオカの作るギゼリはマジでうまい。

昼にカシオカのギゼリを食べるともう晩飯は手抜きでええかと気が緩んでしまうくらい、個人的にはぜいたくな飯。
 
ほんで毎日10時になったら俺がチャイを飲み損ねんようにわざわざ俺が授業中の教室まで割って入ってきて、「チャイ準備できたぞ!」と言いに来てくれる。

それから俺が晩飯の野菜買いに行くのめんどくさいなーっていうてたら、「Rafiki yangu!!(My friend)」っていうて、気前よく野菜くれる。

そんなもんやから俺も気よくなって、お返しに10時のチャイの時間にはたまにマンダジ買ってあげる。ナイスgive and take な関係やね。

普段はキボコ(棒)を振りまわして、子供をばしばししばいている姿を見るがカシオカを理解していくにつれて、子供をバシバシ叩く意味もわかってきた。
もちろん子供をボコボコにするのはよくないけどな。笑

多い時には120人近く、いる子供らの朝、昼、夜、3食の飯の世話をして、なおかつ仕事さぼるその他の同僚がいなくてもたった一人で食事の時間、元気なガキンチョらを制圧してる。笑
(ちなみに食事の時間はちょっと目を離すと子供らは荒れたい放題になる。)

そんなカシオカを見てると俺もちょっと手伝おうと、最近、よくカシオカの職場、キッチンに出入りしている。

手伝うっても別に飯作るわけではない。

ただ子供らがいらんこと(盗み食い)して、カシオカに怒られるのを防いでいるだけ。
カシオカの仕事を増やすなと。そして食べるなら、ばれんように食べろと。この下手くそが!
俺やったら、もっとこっそり食べるわ!
違うか。そんな話じゃないか。

とまぁそんな素敵なおじいちゃん。

こないだも言うたけど、日本に帰って間違いなく、恋しくなるものはカシオカが作ったギゼリが暫定、ダントツの一位。


2011年7月16日土曜日

親、大人たちよ

1年と3カ月が過ぎ、活動言語のスワヒリ語も本格的に慣れだして、子供が言うことはほとんど掴めるようになってきた。
(ただ英語とスワヒリ語を混ぜられるとまだまだダメ。)

そんなことに気付きだすと嬉しくなってくるもんやから大人・子供ともめっちゃしゃべりたくなる。

そうして夕方の遊びの時間になると、子供一人一人と話すようにしている。

本間どうでもいいから結構シリアスな話まで。

ほんでその会話の中で自分の中でよくひっかかることがある。

それは彼らがここへ連れて来られた理由。

窃盗・当校拒否が大部分を占めて、少数派はドラッグ・暴漢などなど。

ほんでまぁここで文字にして書いてみると相当な悪ガキが集まってるとこやなっちゅう印象を受ける。

事実、俺もここケニアに来る前にもらったうちの施設の概要の紙きれ一枚読んだ時、そんなことを思ったし、ちょっとびびった。

ただ実際、ここで子供らと関わってると全くそんなことはないと思う。

日本で子供らと関わった経験が豊富ではないのでうまいこと表現できるか、というか比較する対象の情報が薄いっちゅうか、わからんけど日本の子供らとなんら変わりない。
至って、普通の子供。

もちろん彼らがしたことは悪いこと。 

学校いかんのも、人の物盗るのも。
誰かがそれを教えたらなあかん。
その責任は大人にあると思う。

ただ親にしても、教師にしても、その他彼らを取り巻く大人たちがその責任を人に押し付けている感を受けてたまらない。
ここが俺のひっかかってるとこ。

もちろんほとんど子供から聞いた話なので、おそらく話を盛ったり、事実とは違うことを言ってるかもしれない。

ただ耳を疑うような理由で連れて来られている子供らがあまりにも多い。

・母親に家事を手伝ってと頼まれて、拒んだら警察につれていかれた。
・おばさんの携帯を盗もうとしたところ、見つかって、警察につれていかれた。
・朝起きるのが辛くて、学校にいくことを拒んだら、警察が家に来て連れて行かれた。


「えっそんだけ!?」
と何回、子供らに突っ込んだことか。

全然普通の子供やん。
なんやったら子供はこうでないとって感じるとこもある。

同じことを繰り返すがあくまでこれは子供の口から聞いた話なので、どこまで本当かわからない。

ただ仮にこれが本当であればもうちょい親・大人が頑張れよと思ってまう。
そして、たったこれだけの理由で1〜3年の間、子供らは更生学校という狭い社会に閉じ込められることになる。

この話についてはまた今度続きを書こうと思う。
おそらくだいぶ長くなるはず。


2011年7月14日木曜日

アボガド戦争

ここゲタスル更生学校には学校のど真ん中にアボガドの木が生えてる。

アボガドがある程度熟れると、天からの恵みごとく、木からアボガドが落ちてくる。


それを見た生徒らは我が先にとその落ちたアボガドに向けて、猛ダッシュ。

その勢いを授業に生かしてくれるかと思いつつ、日頃のワンパターンな食事に刺激を与えれるこのアボガドを嬉しそうに食べる子供を見ると、なんとも微笑ましい限り。

っちゅうことで子供らは時に、このアボガドに対して、必死になる。

木に向かって、石を投げるやつ。
木に登ろうとするやつ。
どっから持ってきたかようわからん、長い棒をブンブン振りまわすやつ。

先に書いたが、このアボガド、たまに俺も食べるがめっちゃうまい。

うちの名コック(その名もカシオカ)が作った俺の大好物のギゼリに、カチュンバリ(トマトとピリピリ、パクチ-などを混ぜたもの)を少し添え、その上にアボガドをたっぷりのせて、塩を一つまみ程度かけた、その日に昼食はたまらなく、うまい。

日本に帰ったら一番最初に恋しくなるケニアのものランキングにぶっちぎり一位にランクインしてるくらい。

それくらいうまい、このアボガド。

子供らが必死になって、取り合うのも理解できる。

しかし、最近このアボガド、子供らのケンカのタネになっているのも一つの事実。

まだ熟れていないアボガドを大事に隠す子供、そのアボガドを盗む子供。

取られたくないからとアボガドをポケットに入れてる子供、なにかと難癖をつけて、そのアボガドを自分のものにしようとする子供。

やっと熟れたアボガドをこっそり食事の時間に食べようとする子供、この様子を見た途端、いきなり彼のベストフレンドに成り上がろうとし、なんとしてもアボガドを分けてもらおうとするもの。

ここゲタスルの生徒はおとなしく、じゃあ分けてあげようかとわ言わない強者たち。
(まぁ子供はそうでしょ。)

が故に始まるケンカ。

おまえのかあちゃんデべそから始まる口喧嘩から手にしているアボガドがぐちゃぐちゃになるほどどつき合う喧嘩まで。

始めのころは俺生徒らが持ってきたアボガドが熟れるまで俺のオフィスにあるカギ付き棚(同僚ですらたまに子供のアボガドをとることがある)に置いていた。
アボガド、一つずつに子供らの名前を書いて、ほな熟れたら取りに来いよと伝えて、熟れたら渡す。

食べる時もみんなの前で食べるなら少しでえから分けてあげや、と。
分けるの嫌やったら隠れて食べろ!

こんな感じで対応してた。

ただ先にも書いたが最近、やたらこのアボガドのせいで生徒らが荒れてる。

一人10個単位でもってくる子供がいれば、棚の中に置ききれず、棚の上に置かれてるアボガドを、俺がオフィスにいない時間を狙って盗みにくるやつらもいる。

こうなればもう俺一人で何とかできるレベルじゃなくなる。

なので今日の会議時に「アボガド」を議題にあげるまで至る始末。笑


結果、落ちているアボガドすべてストールに集めて、それが熟れれば子供ら全員に渡すっちゅう結果になった。

というか後から絶対このケースは初めてじゃないはずやのに、今までうちの同僚らは何をしてたんやと気付く。


明日からアボガドを理由にケンカしてるやつは両成敗じゃ!!

一件落着?

2011年6月17日金曜日

The Day of African Child

ということで本日、6月16日はアフリカの子供の日。

ということを俺は昨日の時点で知る。

えらいこっちゃ子供らになんも準備してないと気付きつつ、果たして同僚らもそれに気付いているのかと今日の朝出勤。

案の定、「えっそうなん?」というリアクション。
俺らAfrican Childにがっつり関わってる職員として、最低やなってなる。

ほんでじゃあ今日は祝日なのかって聞くとどうやらそうでもないらしい。

なので子供らの日常の仕事と授業を続けることになる。

朝の集会の時点でその旨を伝えると子供らから大ブーイング。笑
そらそうですもん。今日はあなた達の日なんですから。

ほんでじゃあ今日は子供らは肉食べれるのかな?ソーダ飲めるのかな?と同僚に聞くと、「ボスがいないから、ないやろ」の一言。
おーーい!

とか言う俺も完全に忘れてたので何も言えず。

そんなこんなでいつも通り続ける授業。

じゃあせっかくなのでっていうことで授業の1コマを使って、昨日たまたま調べた、The Day of African Childについて語る。

この日の起源は1970年代の南ア。

当時、南アの子供らは政府や学校の職員に対して、教育の質の向上と彼らのmother tongue(詳細わからず)を学校で適切に教えられることを訴えていた。
この時、彼らがどんな教育を受けていたのか定かではないがわずか10代の少年・少女が政府や学校の先生に対して、抗議を行っていたことから相当な劣悪なものであったと推測する。

そして1976年6月16日。南アの地方都市で児童・生徒らを主としたデモ行進が始まる。
彼らのデモ行進が果たして平和的なものであったのか定かではない。
しかし彼らを取り巻く、警官隊やセキュリティーガードマンらが彼を鎮圧するため、100名以上の死者、1000名近くの負傷者を出す結果となる。
おそらくほとんどが10代の子供たちであったであろう。

そして約20年ほど前に現アフリカ連合によって、当時、教育の改善を訴えて亡くなった犠牲者と彼らの功績を称える意味で、The Day of African Childが成り立った。


すべての子供達に教育を受ける権利がある。

それが彼らの将来を耕すものになるから。
それが彼らの表現の幅を増やすから。
それが彼らの人生を豊かにするから。

そんなことを確認した一日。

ほんで、ごめんなゲタスルの生徒達よ。

2011年6月14日火曜日

すてき授業

先週末は素敵なイベントが続いた。
朝まで覚えたての徹マン(チョンボ4回やる)
ドミでBBQ(遅れて、残りもん食べる)
ワールド・カップ(16カ国のチームが集まったチャリティーサッカーイベント)

おかげで朝一番でドミから任地に戻ることになり、眠気眼ながら出勤した今日の朝。

今は子供らもテストが終わり、あとはトランスファー(他更生学校へ移送)の日を待つのみ。
せやけど授業はいつも通り続ける(ようにしてる。笑)
というのも毎回、テストが終わると教員・生徒ともに授業をやる雰囲気ではない。
その理由は以下にある。
・約1~2週間ほどテスト週間のため、授業が完全になくなる。(生徒らもここゲタスルの変則的な授業習慣を忘れる。ただ日本でもテスト後の授業って、「山場を乗り越えた」感が生じて、どこか集中しない気がある。それと同じようなものを感じる。)
・教員(といっても俺とジョロゲ)ですら若干、あと1〜2週間で移送される子供らに何を教えるんだというような空気が流れる。且つジョロゲに至っては普段の仕事量に比べて、テスト期間は半端ない仕事量をこなす(といっても日本基準ではおそらく並程度)、故に彼はそれなりの達成感を感じる+身体になんらかの異常(頭痛・腹痛・風邪・採点作業による腱鞘炎)をきたすため、テスト後には多大なる影響を授業に及ぼす。
つまり、彼は適当な授業する、最悪、授業やらない。

ただそんなこんないうてもClass goes on。

俺ももっかい気引き締めて。ジョロゲはほっといて。

ただこの時期は1クラスが50人になる日もあれば、マヒンディ(トウモロコシ)の収穫やということでいきなり授業の代わりにマヒンディの畑仕事に切り替わったりする。
加えて、生徒らのトランスファーの日は本部(更生学校を管轄している省庁)から移送作業の予算が下り次第、始まるため、彼らがいつ学校を出ていくのかマネージャーですら全く読めない。
1週間で予算が降りる時もあれば、1カ月以上待たされる時もあった。なので週をまたぐような授業は行えない。

つまりは計画通りにものが進まないということ。

であるからして、できるだけ1日で完結できるような授業が望ましい。

ということで気付けば非常に前置きが長くなったが今日CLASS7&8に日本食紹介をすることにした。

今まで子供らとの雑談の中で、日本文化紹介というようなたいそうなものではないけども日本のことについてなんでも話はしてきたが改めて、「日本文化紹介」ということで授業を行うのは初めて。
自分自身もめちゃめちゃ新鮮ですごいおもろいし、授業なのでいろんなマテリアルを準備して行うため、準備段階ですでにわくわく。

ただマテリアルといっても残念ながら俺自身ここケニアでめったに食えない日本食を子供らにも食わしてやることはできず、教員・生徒ともにフルに想像力を生かして、説明・聴講する。
ただ前日にパソコンにダウンロードした日本食写真を子供らに見せる。

〜かつ丼編〜

俺「これはかつ丼や!ごはんの上にな豚をあげたやつを卵でとじたやつをのっけるんや!めっちゃうまいぞ、これ!」
生徒「コレ、ケニアでも作れるんじゃないの?俺一回やってみよ!」

〜たこ焼き編〜

俺「これはたこ焼きっていうてな、俺のホームタウンの食いもんなんや。ギゼリ(俺の大好きなケニア料理の一つ)ってキクユ(ケニアの代表的な部族の一つ)の伝統料理やろ?あんな感じや!ほんでコレ、作るには特別なフライパンが必要でな、丸い形してるやつでな。」
生徒「知ってる!それ、ケニアでも売ってる!俺ん家にもあるし、それ!」

〜寿司編〜

俺「これは寿司っていうて、ご飯の上に生の魚のせた食いもんや!魚もな日本は島国やから昔からたくさん魚獲れて、種類もいっぱいあるんやぞ!ほんで日本人みんなコレめっちゃすきやぞ!」
生徒「生の魚!?考えられへん。日本人は生の魚食べるん?腹壊すって!」

といった感じで、ここケニアでは生の魚を食べる日本人に対して、驚愕とドン引きする。

何回か日本食の写真(ほぼ俺が食べたいもの)を見せた後に子供らに箸体験をさせた。

そして今日俺が一番驚いたのはこの時やった。

ケニアに売ってるラムネみたいなんを皿と皿に移すっていうのを子供らにさせた。せやけどさすがにちょっと難しいやろうなという気持ちと子供らがぎこちなく箸を使って、ラムネを落としたりというのを想像してた。

ところがどっこい。

子供らは喜んで、キャッキャ言いながらやっとるとこまでは俺の予想通りやったが、ほぼ全員、箸の使い方が様になってる。笑
もちろんたまに落としたり、変な箸の掴み方はするものの、うまいこと使ってた。ちょっと悔しくなって、無駄に皿と皿の距離をあけるも難なくこなす子供ら。

ちょっと予想を覆されて、面白くない俺ではあったが子供らは異国の文化に触れて、楽しそうにしてた。

知らない世界について興味をもって、「へぇ〜」っていいながら、知らない世界について知るってことは本間に素敵なことのような気がする。
それが将来、役にたつ、役にたたないは別にして。

2011年6月6日月曜日

For my own life

ここケニアで俺自身の人生をより素敵なものをするために新卒のペーペーにも関わらず、青年海外協力隊という素晴らしい制度を使わせてもらい、今まさにケニアにいる。

日本を離れて見えること
受け身な学生時代から能動的な協力隊生活
実家を離れて、海外で一人暮らし
上下関係なく接してくれ、日本・世界でものすごい経験をしてきた同じ協力隊の人たち
ナカダリカ・・・

これらを通じて見えるものが本当に多い。

あまりにも刺激的すぎて、自分に起こったすべての事象を消化しきれず、消化不良を起こすこともしばしば。
自分というしっかりとした「芯」がなければ、いろんなものに振りまわされてしまいそうになることも。

ここケニアで見る・起こる「違い」をおもしろいと見るか、否か。

断固、前者。
自分の目に映るものを否定ばかりして、何になる。
そんな小さな人生にしたくないし、そんな小さな世界をみたくない。

大きな人間になりたい。
そのためにはより多くの物・人と関わり
自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の肌で感じる。

最近、そんな自分の人生のテーマを掲げつつある。

なぜ、こんなことを書くのか。

決して、日本の税金を利用して来ているボランティアが活動とは関係ない、「旅行」に精を出すことを肯定しているわけではない。
断じて、そんなことはない。

7月 Mt. Kenya (アフリカ大陸 第2の山 5000m 級)
8月 Kilimanjaro (アフリカ大陸 最高峰 5895m )

登ってきます。
生きて帰ってきます。
最近、日本のおかんから電話がかかってき、最近見た映画の素敵な名言を残してくれた。

「山に捨ててはいけないのはゴミと命」


俺の人生に大きく刻まれることは間違いない。
活動がそっちのけになってしまいそうになるほどわくわく感がとまらない。





2011年6月1日水曜日

Have a nice....

明日はケニアの祝日。

その名もMadaraka Day。

話聞いたらようは「独立記念日」だそう。

子供らは朝にマンダジ(小麦粉練って、揚げたやつ)とチャイ(ミルクティー)を取って、

お昼はチャパティ(小麦粉練って、焼いたもの)を食べれるそう。

お祝いやね。

明日は授業はないけど昼にチャパティでも食べに学校いこう。

今日もまた子供らとサッカーして疲れ切った体のまま、

学校を出るときに同僚にあいさつ。

"Have a nice Holiday!"

いつも英語なんか使わんのに、不意に出た一言。

ええ言葉や。

自分でゆうたくせに、なんか胸にジーンときた。

「ええ祝日を!」

なんなんやろな〜この一言に込められたものは。

相手を思いやった言葉であって
明日休み!っていう期待感も混ざってる。

でもこの言葉は日本にはないな。

なんか日本で明日、休日やとか、祝日やとかなって、

人にこんなんゆわん。
なんか日本って休日・祝日って休息する日。
って感じやもんな。

なんなんやろな〜この言葉に込められたもんは。

気になる〜。

Anyway, Have a nice Holiday!


2011年5月31日火曜日

ええ顔してる。

足をケガして、3カ月弱。

中途半端に走ったり、サッカーやったりしつつも
久しぶりに子供らとサッカーをした。

おもろすぎる!やっぱ〜ええわ〜スポーツ。
自分もちょっと全然動かれへんくてストレス感じてた。
まぁさすがに全力ってわけにはいけへんかったけども
ぼちぼち慣らしていこ。

さて、最近、自分が一体、子供らに何をしてるか書いた記憶がなかったので少し。









「切り絵」

だいぶ前に自分がてっきり切り絵やと思ってた工作が「ちぎり絵やぞ」ということを同期から指摘され、それもそうだと思い、ほんなら「切り絵」って何?って思い、そんな流れで子供らにやらせた。

さすがCLASS7。
アイディアが素敵すぎる。

カンフーしてる姿を作るやつもおれば
ギター弾いてるのをつくるやつもおる。
他にも、ウサギ、シカ、Just a 模様もある。

一番始めに見本として俺が作った、
どうしようもない人間のシルエットのやつと
どうしようもない模様を見ただけで
そっから自分の想像力を膨らませて、自分の作りたいもん作る。

ええね〜。素で俺よりうまいやんっていうてもうた。
おい、Mwalim(先生)。

でも美術、図工とよばれる類のもんは、想像力が勝負やと思う。
せやからうまいとか下手とかはない。

自分の思いつくものを自分の好きなように表現する。

せやから「先生、俺できへん。」っていうてくるやつらでも
Tryすればそれでよし。

そんときは「ようやった!」って褒めたる。
以上。笑

せやから自分を表現したやつ。
TRYしたやつ。

みんな終わった後はええ顔してる。

2011年5月26日木曜日

吐きます。

弱音を。


今日のスタッフミーティングで新しく整備された教室の報告と
新しく始める授業の説明を行った。

まぁ一番始めからこの話をした時は否定はされなかったのは事実。

せやけどいまいち自分の言いたいことが伝わらん。

オレはただ子供らの学ぶ機会を一つだけでも増やしたいのに。

なんもすることない子供らにオレが授業するっていうてるだけやのに。

もう同僚と関わるのは疲れる。

あっもちろんええやつもおる。

ジョロゲはオレの授業の提案した時、やたらと拒絶反応示すし。

オレが必死に説明しても、やたらばかにしたような笑いで「疲れることすんなって」っていうし。 

マネもマネで、学校のタイムテーブルいじられるのがいやで極力、話を最小限にとどめようとするし。

もう腹立つから話途中でやめた。聞く気ないんやもん。

せやから来週からはとりあえず新しく授業始めれるように無理矢理もっていった。

なんかな〜もうコレ愚痴になってるな。

まぁこの話だけに限ったことではないけども。

オレ本間弱いな〜って思う。

その弱さを人に見せたくないから無理に背伸びする。

自分の目指すところに少しでも近づきたいから自分の心の声を無視する。

そして自分自身を否定する。これは俺じゃないって。

自分の弱さや弱音を人に見せると何か自分の中で止まってしまう気がするから。

せやから基本、人にそれを見せない。

子供の頃からせやったな。

親に向かって弱音吐いたのは高校で野球やってた時の一度だけ。

練習きつくて、監督厳しすぎて、野球がおもろいっていう気持ちを忘れて、やめようとしてた時。

心配させたくないしな。

まぁ結局やめへんかったけど。

自分が今やるべきことを途中でやめるなんて、オレの中では論外。

そこで1度逃げ出してしまうと、もうそこには帰ってこれへん気がする。

ほんで絶対後で後悔するのは見えてるから。

愚痴もそう。愚痴いうとなんか自分の中の何かを壊してる気がして、あんまり好きじゃない。

なんか愚痴るとそれ以上に前に進めへん気がするし、人を愚痴れるほど自分もそんな出来た人間じゃないから、嫌い。

でも今日だけ許してください。

オレ弱音吐きます。


さて、今日はほなら飯食って、寝込まして、
明日になったらまた前向けてるかな。

もっと強い人間になりたいな。

2011年5月20日金曜日

動き出す

というのも着々と企画していた、そして待望していた生徒の学習机がやっと来た。

JICAには本間素敵な制度があり、現地業務支援費と呼ばれるものがある
(いわば活動上、必要なお金を、職場が出せない場合に支給してくれるお金のこと)

3月後半から着々と企んでいた、この学習机の整備。

以前にも書いたがここゲタスル更生学校で現在使われている教室はただ一つのみ。
そして生徒が週に受けれる授業は週に1度。
その他時間は作業したり、ぶらぶらしてる。
主に暇してることが多い。

これはいかんとずっと悩み続けてきた、この現状をなんとかしようと考えたわけ。

本間はJICAのお金を使わずに、机を整備できるのが一番であるけども
そこまでオレの活動に理解を得れていない、且つ、お金がない。

どれくらいお金がないかと言うと、
オレ「マネージャー!新しく使う教室のカギ(300シル[280円ほど])買ってくれ!」
マネ「金ない!待ってくれ!」
っていう感じ。

まぁ実際はそんなわけはあらへんやろと思いますが、でもお金を出すのに渋るってるのは事実。

ということで今回、この新しい机のおかげで期待される効果は簡単に言うと以下の通り。

・生徒の授業−週1が週2になる。
・生徒の暇を持て余す時間が減る。 
・配属先へのオレの活動のアピール
・学ぶ機会の必要性を叫ぶ

などなど

残り一年きって、どこまでトライできるかわからんけど確実に前には進んでる気がする。

1つ目と2つ目は来週から始める予定の週2の授業を開始次第、達成できるやろ。

3つ目に関しては、今日、出来立ての学習机を見た同僚が
「やったな!もうお前が仕事ないっていうストレス感じることはなくなるな!」
とオレに言い放つ。

ちょっとちゃうけど、まぁまぁ見ときんシャイ。

よっしゃ、ほな気合い入れていくで。

2011年5月12日木曜日

冷たい雨が降りしきる


5月に入り、雨が本格的に降りだしてきた。

4月の中旬から降っていた雨は不思議と夜中にしか降らなかったが今では朝も昼も降ることがある。

朝晩はめちゃめちゃ冷え込み、トレーナー投入。

雨が降ると子供らのすること激減。

俺のすることも激減。

するといろいろなことに思いにふける。

思いにふけるって響きがいい感じやけども、大半は雑念。


その中の一つ。

もともと英語もできなかった俺は派遣前訓練で勉強したスワヒリ語のみ話す。

ケニアに来て、ここゲタスル更生学校に来て、1年が経つ。

やっぱり伊達に1年いるわけじゃないからある程度は話せる。

前々までもっぱら悩みの種であった語学。でもいつの間にか、そんなこと気にせんくなってた。

ただそのオレの語学力、かなりのムラッ気がある。

ある時は自分でもびっくりするくらいペラペラ話す。

ある時は自分でもよく理解できないほど適当に話す。

今日は特にそれ。びっくりするくらい適当に話してもうた。

単語が出てこない。何を言ってるか理解できない。

たぶんそんな時は雑念に取り巻かれている時やな。とふと思う。

授業してる時はめちゃめちゃ集中してるからあんまり意識せんでも日本語話すみたいにポンポン出る。

ただ「うわっオレ今スワヒリ語喋ってる。」

こう意識すると厄介。

まず自分の言いたいこと考える。

日本語で組み立てる。

スワヒリ語に翻訳

伝える。

めっちゃ時間かかるし、慌てるから文法・単語など完全無視。

ただこのドツボにはまるとあがけばあがくほど底なし沼のように沈んでいく。

要は気にせず明日があるさでいこうってこと。

俺の性格的に考え込むくせがあって、だんだん自分を追い込んでいくタイプなので

はい、切り替えて張りきっていこう。


っていう完全に思いつきの浅〜い今日の日記。

明日晴れるかな〜。

2011年5月6日金曜日

The 禁煙

今日から生徒のトランスファー後、初授業。

新しいメンツが早くも勢ぞろいして、みんな授業に飢えてた。

もちろん素直に勉強したいやつもおるけど、大部分は畑仕事から逃れたいやつもいる。

俺が1週間の休暇から任地へ帰るとFarm Teacherが生徒からボロカス言われてた。

俺いなくて授業がない間、生徒はずっと畑仕事をさせられてたんやろうな。ポーレ。

理由はどうであれ、授業へのモチベーションが高いのは嬉しいこっちゃね。

また今日からぼちぼち始めていくからな!


ということで今日から始まったのは授業だけではありません。

禁煙はじめました。

タバコ吸い始めてから、今まで一度たりとも禁煙なんかしようと微塵も思わんかったオレ。

ただ1カ月前から続くなぞの咳に悩まされ、禁煙を決心。

ひどいときには夜寝れんくらい咳が出て、しまいにはえづく始末。

ということでとりあえず3日間のショート禁煙ですが今のところ順調。

配属先の同僚も禁煙をしてて、昼飯食った後に、二人でそわそわしながら

「今、家戻ったら吸うてまうな」

と言いあって、お互い励まし合う。

そしてタバコ吸いたくなったらとりあえず家に戻って、水がぶ飲みして、あめちゃん舐める。

頑張れ、オレ。そして咳とまってくれ。


2011年5月5日木曜日

ご無沙汰してます。

地震の影響でJICA内で個人ブログの自粛の呼び掛けがあり、1カ月自粛しておりました。

日本国内が緊急事態である今、

ODAをやってる場合かという懸念があったための処置やと

ざっくり言えばそういうことです。

もちろん強制ではなかったです。「推奨します」って程度でした。

でも確かにODAとか関係なく、当初は日本が大変な時に呑気な日記を書いてる場合やないなとも思いました。

負い目というか、申し訳ない気持ちにさらされてました。

被災者の方を少しでも勇気づけるために頑張ろう

なんて言えませんでした。

ただ黙ることと些細な募金しかできなった。



そう思ってる一方で、今回の大震災で100カ国以上の国々から支援の声が上がってきてた。

その中には先進国だけでなく、途上国も含まれてた。
ケニアは手あげたんかな?笑

これはひとえに今まで日本が対外的に協力や支援を行ってきた姿勢の表れやと思う。

ただ素直にすげぇと思った。鳥肌立った。

世界が日本のために行動を起こしてくれてる。

ほんで今ケニアにおる俺はケニア人はもちろんケニアに住む外国人にもお見舞いの言葉をもらう。

素直に嬉しい。本間にありがとう。

もちろんすべて日本のODA、JICAのおかげとまでは言えないけども、その一端は担ってるはず。

もっと胸張らんかい。とも思う。



震災からもう少しで2カ月経つ。

被災者の人らの心の傷が癒えるのも、

ましてや復興もまだまだ先のことやけども、

そろそろ前を向いてもいい時期かなと俺は思う。


だから自粛解除。

というてももともとちゃんと更新してるたいしたブログじゃないけども

その日にあった出来事を、その日に自分が思ったことを

今まで通り書いて行こう。

そして被災者の方々に一日でも早い心の安らぎがもどることと

一日でも早い復興を心から祈ります。


2011年4月1日金曜日

Tuko karibu BOMA !!

朝に出勤後にすることの一つは同僚らと生徒にあいさつ

生徒は一人一人は難しいけど出来る限りあいさつする。

ほんで同僚らには一人一人握手してあいさつする。
そんな折、マネージャーんとこにもあいさつしていく
まずいつも通り日本語で「おはようございまーす!」とあいさつされ、

マ 「嫁見つけたかー!!がははは!」
俺 「まだや!でも自分で見つけるからほっといてくれ!」
マ 「早く見つけな痩せるぞー!がははは」

どいうことや。(思わず日本語で突っ込む)
どういう理屈やねん。せやからあなたは太ってるのですか。

そんな一場面から一日が始まる。


午前中はいつも通りの授業。
といっても今の時期は学校所有の畑にて収穫後の大仕事があり、でかいやつらは畑仕事にかりだされる。
せやから彼らはこの間授業うけてません。

そんな中、授業が終わり、腹減ったのでキッチンのおばあちゃんに飯もらいにいく。
飯もらってぶらぶらしながらギゼリを食っているといつも会議があるとこでWELFARE(生徒らのカウンセリングや生活指導するセクション)の同僚らがなんやら仕事してる。

彼らはもうそろそろ他の更生学校へと移送される生徒の振り分作業をしてた。
そうか〜もう行くんか〜。

去年の暮に子供らが出て行ってからもう3カ月。
早いな〜。

今回はちょっと自分の私用で少し子供らと関われない時期があり、申し訳ないことした。

そんで来週から生徒のトランスファー(移送)が始まり、続々と他の更生学校へと旅立っていく。
寂しいなぁ〜。

もうそろそろ出ていくと聞いた生徒は「Tuko karibu BOMA!(そろそろ出発!)」といって、もうそらなんとも言えんくらい興奮する。
生徒らにとってはビックイベントの一つ。
他の更生学校には職業訓練や通常のクラス、クラブ活動等がある。
ここゲタスルよりも遥かに「教育」という面で充実している。はず。
そして俺以外のJOCVが活動している更生学校もある。

そんなこうなで着々と出発の日に近づく彼ら。

そんな彼らは先生一緒に写真取ろう!
写真くれる?売って!
30シル(35円くらい)で買うから!

別れに向けて、思い出を欲しいのか。
ただ彼らにとって非日常的な写真に興味があるのか。

そんな彼らをちょっとだけ。






かっこよすぎるやろ。まぁその携帯は俺のやけどな。
 




ん~アウト。


背比べ。

2011年3月31日木曜日

はじめの、はじめの、第一歩

今日は水曜日。
生徒たちはKANISAの日。
(牧師さんが着て、クリスチャンの歌うたったり、お祈りする時間)
そして職員会議の日。

今日のこの職員会議で俺が前から言っていた授業を増やしたいという提案を議題にあげた。
事前にマネージャーとジョロゲには話していたことではあったが生徒のたちの一日のプログラムに関わることなのでその他同僚にも周知した。

まず仕事も与えられず、特に何もしていない生徒の存在を問題として挙げた。
そして俺にも授業をしていない時間あるので彼らに授業をすることでその問題を解決できると説明した。
しかし俺が最も解決したい問題は彼らの授業数を増やすこと=教育の機会を増やすこと

ほんでまずなぜ彼が何もしていない時間があるのかという話になった。
同僚らが言うには生徒全員には本来彼らが沿うべきプログラムがあるということ。
が、しかし沿っていないからそんな状況になっている。

そこでまず一人の同僚がそれを認める。自分が怠っていましたと。
事実、そのプログラムを進行するはずである教員がちゃんと仕事してへんかった。

「あれ?なんか風向きが違うぞ」と思う俺。
というのも俺が感じていたケニア人の印象は「自分の非を素直に認めないこと」であったから。

ほんでその後、話が移り、次に学校のプログラムを変えるには少し難しい点があるということが話合われる。
もちろん今回の俺の提案により学校のプログラムを変えることは不可能ではない。
そして俺がその増やした授業を進めることも可能である。
しかし俺が日本へと帰国する1年後はどうなるのか?
そこを聞かれた。

おっしゃる通り、俺1年後に帰ります。そして1年後のことなんか考えてもいなかった。
そこはちょっと無責任ではないかと。

更に次にいつもお調子者の同僚の一人が俺の気持ちを汲んだのかこんなことを言う。
「マサルは授業をしていない時間があるといってるやろ!マサルははるばる日本から政府のお金使って仕事しにきてるのにオフィスで暇してるのはかわいそうやろ!」

なんかちょっと違うけど・・・まぁええか。ナイス、ビス(同僚の名前)!

そしてそれに同調するうちのボス。

更に更に話が変わり、俺の前任者(俺が来る前に活動していた日本人)の話へ。
この方はまだ俺やもう一人の授業担当教員が来る前の頃に日本人たった一人でうちの更生学校のすべての授業を担当していた。
おそらくかなりの激務に近い労働量だったと予測され、しまいにはケニア人生徒にスワヒリ語まで教えていたそう。

その前任の方がその激務に耐えかね、うちの更生学校を仕切る省庁まで話がいったそうだった。
それによりうちの施設とマネージャー、なおかつその省庁が管轄しているその他ボランティアが活動している施設まで厳重注意がなされたとのこと。

その件を懸念しているうちのマネージャーや同僚たちが俺にあまり仕事をしてほしくないという心配もあるということを言われた。

これは俺が自分でやりたいっていうて自分でやるんやからそこ文句言えません。
せやから安心してねと強く念を押して言った。

とまぁこんな話合いが続けられ、2時間も続く会議で漏れそうな小便を我慢しつつ、結局、落ち着いた結果はとりあえずプログラムはそのままで暇してる子供たちを俺に回すということに。

これもなんかちゃうな〜と思いつつ、とりあえずこれで様子見ようかなと。

本格的に始まるのは5月からなのでまたぼちぼち話していこうと。

そして自分の記録用として今日の会議の状況をこと細かく書いた自己満足の日記。

2011年3月28日月曜日

シリアス

近所に住んでる副マネージャーの姪が俺のマイブーム。

すらっとした華奢な体型で、色は黒というよりもブラウン。
日本人に少し近い顔立ちで、笑うとめ〜っちゃかわええ。
そんな俺の癒しとなってる彼女は俺より3つ下の20歳。

近頃、全然見ーへんなと思ってたらナクル(ナイロビより2〜3時間ほどのにぎやかな街)で仕事みつけたらしい。
ほんで今日向こうに引っ越しするからっていうので副マネージャーがわざわざ授業中の俺を呼んで、あいさつしといでと。

ひさびさやな〜?ナクルのどこ?仕事なにすんの?と軽く会話して、ほなまたナクル行った時はあいさつしにいくわな!と授業もあったので締めようとしたその時。
髪の毛をあげようとして、持ち上げられた彼女のその腕の先、つまり脇に堂々と生い茂った毛。

認めたくない。あかん。それはあかん。
必死に目の前の現実から目を背けようとするものの、目がそこにいく。

そもそも女性が脇毛はやしたらあかんなんて誰が決めたん。
そんなルールありませんな。

せやけど俺の世界を見る視野の狭さが故に、まだそれを受け入れることができず。

あかん。もっと大きな人間にならなあかん。

2011年3月26日土曜日

隣人・友達・弟・先生

なんで休日はこんなに早く、そしてスカっと起きれてまうんやろ。
もっと寝たらええのに二度寝もできず。
昔っからずっとそうやったな〜。
やっぱり休日はワクワク感に満ちてるからやろうか。
そうするとつまり平日はまだまだワクワクしてへんってことなんかな。

もうちょっと わくわくしようぜ 平日も

なんやこの安っぽい一句は。


ということで今日は今年入って初めて家の本格的な掃除を実行。
やるまではちょっと億劫やけどやり始めると意外に楽しいし、こだわる。

やらんでええのに家具の配置変えてみたり、
部屋の装飾し始めるし、
無駄な日曜大工始める。  

ちなみに打ち間違えた釘を力いっぱい抜こうとして、手が滑り、親指から大量出血する。
ほんまどんくさい。
またしても地味に生活に支障を与えるなこれ。
右手親指の先端、いっつもいい仕事してくれてたんやな。

そんで午前中に掃除は終了し、家の前でたばこ吸う。

ここでブライアン登場。


彼は俺の隣人であり、友達でもあり、弟みたいな存在でもあり、先生でもある。
先生というのは最近、彼との会話で英語を勉強してる。
高校の英語の教員免許もってるくせに実用性ゼロ。
完全に教室英語です俺のENGLISHは。

俺とブライアンは壁一枚隔てた長屋で暮らしてる。
つまり同じ屋根の下で生活してる。

年はだいたい12〜3歳くらいで、Primary School STD6(小学校6年生)。
俺のイメージの中の小六で彼を見るなら、相当しっかりしてるなブライアンは。
おかんの手伝いちゃんとするし、礼儀・マナーをしっかりわきまえてる。
おまけに体はでかい方じゃないけど筋肉モリモリ。ウガリのせいか。

晩飯ご馳走してくれたり(おかんがつくったやつを持ってくる)、
俺が家にいない時は電話してきてくれるしな。


そんなブライアンとはよく俺の家の玄関に座って話する。
特に何話するってわけでもないけどそんな時間が楽しい。

今度、ブライアンが通ってる学校でイベントがあって劇をやるらしい。
彼がやる劇を見に行こうかなって思えるくらいブライアンは俺にとって大切なやつ。


未来のスター発掘

風呂入らず、今日で5日目。

今日も昨日と同じく自分に負けて、慌てて起きる俺。
「急がなあかん!」と思ったその次に気付いたことは俺の頭の臭さ。
慌てて起きて空を切った風に乗ったそのにおい・・・じーざす。

今日は風呂入ろ。

ゲタスル更生学校の生徒たちは毎日14時〜16時に「Chini ya mnazi(直訳すると:木の下)」という時間がある。
本間に影のできる木の下で生徒ら全員が集まって、先生の話を聞く。

うちの同僚らはカウンセリングをしているというけど、まぁこれほどFlexibleな時間はないよね。

学校の規則を先生が生徒に確認させたり、彼らのバックグラウンドを一人ずつ話させたり、はたまた聖歌歌ったり、「全員寝ろ!」って言われて寝たり、ほんで先生の気分でなかったりする。
基本はしつけと更生学校に来た理由を話する時間らしいのやけどもまぁ毎日そんな話してても持つわけでもなく。

聞くところによると昔(4〜5年前)はこの時間を使って、授業が行われてたらしい。
やけど授業担当の教諭が一斉に他の学校に異動したことにより、「Chini ya Mnazi」ができたらしい。
要するにすることなくなったんやね。

そんな時間に今日は生徒のタレント(才能)をお披露目することになった。
特別なイベントってわけでもなく、普通にいきなり始まった。

ほんで生徒らは挙手性で自分のタレントを披露。

ラジオのパーソナリティー的なんやったり、
有名な歌手の歌を踊りつきで歌ったり、
手前味噌の劇したり、
人間楽器やるやつおるし、
普通に前に出たかっただけのやつもおる。

もう2時間笑いっぱなし!!
ちっちゃい10歳くらいのやつが大人顔負けの腰振りするし
フルハウスばりのオチの良さとテンポの速さで演技するし
絶対やりたかっただけやん!ってツッコミたくなるくらいくだらん茶番劇やるし
もう笑い疲れた。。。

せやから写真取り忘れたKabisa(完全に)!


日本って人の前で自分を前面に出す機会なんてそうそうないよな。
やれって言われても恥ずかしいてやらんやろうな。
日本に「スベる」っていう言葉がなければどれだけ日本人は自由になれるだろうか。

そんな日本で育った俺は「先生もなんかやって!」と120人の生徒の大声援の中、無茶ブリされて、「俺足怪我してるから!!」と必死で回避する。
生まれて初めて無茶ブリされて、相手じゃなく自分を責めた。

もっと大きな人間になろう。


そんな子供たちの日頃のストレス解消と自分自身を表現する素敵な時間を綴る。

2011年3月25日金曜日

Hakuna Pesa, Bwana !!

毎朝、朝6時半に目覚まし合わせるのに最近、起きるのは8時(出勤時間)10分前。

しかも自分がいつのまにか目覚ましを止めていることすら覚えてない。

そっから最近は慣れたせいか急ぐことすらせず、ゆっくりパン食べて、タバコして、うんこ出してからいく。
毎晩ちゃんと明日はちゃんと起きようと決めて寝るのに、朝に自分に負けてしまう。俺まだまだ弱いな〜。
明日はちゃんと起きよう!

今日は昨日病院に行ってたので授業を増やすための話をしに、マネージャーのところへ。

うちのマネージャーはこれまで何人もの日本人ボランティアと関わってきたのでとても理解のある人。
そしておまけに仕事もできる。
ちなみに俺がこの間、急きょ日本に帰ることになった時にマネージャーは誰よりも心配してくれた。

空港までの車手配してくれるわ、
家のセキュリティーを心配してくれるわ、
おまけに空港まで同僚らつれてきて見送りにきてくれるわ。

最高の上司です。俺は彼のことを普通に尊敬してます。

ほんでそんなマネージャーのところへ行って話開始。

結論から言いますと、「保留」

というのもクラスを増やすということは他の同僚と話をしないといけないことなのでマネージャーがどうこう言える問題ではないと。
ただ基本的にはマネージャーにはOKもらったのは確か。

ほんでジョロゲ(授業担当教諭)が4月をほぼ丸々研修で休むので、実際生徒の授業時間数が増えるのは5月に入ってから。

せやからそれまでにやらなあかんことは教室の整備と同僚への周知、ほんで机の調達。

机の調達がちょっと難関やな。
マネージャーに机買ってっていうたら堂々と「Hakuna Pesa, Bwana !! (金ないわ、ミスター!!)」と言われた。
そらそうやな、鉛筆買っていうても渋るのに。


2011年3月24日木曜日

PEACE

玄関でたばこを吸っていると家の目の前にある畑で野菜を取る若い女の子がおる。

俺がいることを気にもせずナイスヒップをこっちに向け、ちょうどいい谷間をにのぞかせる絶景。

こんなことで今日一日よかったなと喜べる俺。平和やな〜。



今日は仕事を休み、病院2件をはしご。

1件目は整形外科。

2週間くらい前に子供とサッカーしてる時にお互いボールを蹴り合う形になり、ボールをおもっきりクリアーしようと足振り抜いた結果、右足靭帯部分断裂。

笑えん。このせいでお世話になった先輩のクワヘリサッカー(お別れサッカー)に出場できず。

2週間は右足はつくなと言われ、松葉杖生活を送ってた。

でも今はぼちぼち歩けるようになってます。

心配してくれた方、お世話していただいた方、ありがとうございます。完治まであともうひと踏ん張り!


2件目は歯医者。

1週間前に学校の昼飯でギゼリ食べてたら、中に入ってた石をおもっきり噛んで、歯がかける。

これは笑えた。微妙に間抜けな顔になる。

こっちの歯医者は日本に比べるとちょっとレベルが落ちるらしいと健康相談員さんに言われたが実際行ってみるとそうでもない。
普通にコップおいたら勝手に水が補給される台もあるし、歯削るやつ、唾液吸引するやつもある。そしてきれい。

まぁ歯を掃除するときに水かけるやつでおもっきり俺の顔にしぶきかけたり、歯の型とるからって口の中に粘土みたいなん入れるのはええけどなぜか俺の顔面おもっきりしばいたりすることはあるけどそれ以外は全然、日本と変わらん気がした。

というかこの点については技術というよりも人のことを思えるかどうかってことやな。

来週もう一回いって、新しい歯をつけてもらいに行きます。

帰り際に、受付のねーちゃんから次回払ってねと可愛らしい笑顔で渡されたその金額は俺の月の生活費と同じ。


2011年3月23日水曜日

Rainy Blue

雨の季節到来。

雨はいろんなものに影響する。

道が悪くなる − 泥道を車が走り、歩きづらい。手負いの俺(靭帯部分断裂のため療養中)にはきつい。
サファリアンツが大量発生 − ベットルームに入ってきて、深夜1時に大格闘。
畑仕事ができなくなる − 子供らすることなくなる。

まぁネガティブ要素が降ることが多いけども恵みの雨には違いない。

しかも雨に振りまわされる自分も嫌。せやからそんな時期を楽しもう。


ということで今日は生徒の授業数を増やすためにいろいろ準備をした。

現在、うちの生徒は週に1度(しかも午前中のみ)しか授業を受けれてない。

他の時間は何をやってるの?ってなるけど特に何もしてない。

強いていうならば収穫が終えた畑を耕す時期のみ子供らは忙しい。

それ以外は学校の掃除、食事の準備手伝い、先生のパシリ等。

じゃあなぜ何もしてないのに、子供らは授業を受けれないのか?

一つは教員不足。授業担当の先生はケニア人教師1人と俺の二人のみ!!

もう一つはうちの施設はケニア全国の7ヶ所ある更生学校の内の一つで機能としてはその他更生学校へ子供たちを振り分けるための施設。
せやから子供らはだいたい3カ月くらいしかいません。もちろん半年以上いるコもおるけどね。

ということもあり、教育よりも他の更生学校に行くまで子供らを世話する程度くらいにしかうちの施設の考えとしてはない。

俺が思うにそう思ってるから授業担当の教員が補充されないんやろうな。

ということで今回生徒の授業数を週1から週2にしようという話。

まずはいっつも授業やってる彼(その名もジョロゲ)に提案。

口ではうまいこと説明できんからエクセルで作った表も持って説明。

第1声は「この表めっちゃスマートやん!」  ASANTE。

説明開始しても、ずっと「スマートやな〜」ばっかり。もうええわ。少年か。

ほんで5分くらいしてからやっと本題に入った。

今回の提案で彼の授業時間数も増えることになるのでそこの了解を取ろうと思った。

はじめは「 We can try it! 」と食いつきよかった。

ただ俺が「授業時間増えても、お前の給料ふえるからはわからんぞ」って言うたら雲行き怪しくなった。
そら自分の仕事増えるわけですからね。

で、結局俺だけが授業数を増やすことになり、ジョロゲはぼちぼち手伝うわっていう形になった。

もちろん、ジョロゲにも持ち授業増やしてもらいたかった。すなわちそれは子供らの授業の時間が増えるから。

ただそこを強制はしない。もし強制でやったとして、そんな気持ちで授業やられても意味ない。
どうせすっぽかすし、やっても3日坊主やろう。

せやからジョロゲがやるって自分で決めるまで俺は何もゆわん。
というよりもまず自分がやってから。

授業数増やすためにやること
・マネージャーに許可
・その他同僚との話合い
・今まで使ってなかった教室の掃除
・学習机(10個)程度確保

ん〜楽しみや!
というか赴任直後の新鮮さを感じる。

えっ遅すぎ?いやいやこれからや。


2011年3月15日火曜日

Utajua tu. 知らないだけ。

靭帯痛めて、早一週間。
マジで生活しづらい日々が続く。

ただこんな怪我なんかに振りまわされるのが腹立つからあんまり気にしないように。
俺がやりたいことをやりたいようにしてる。
砂利道、ガタガタ道を松葉づえで疾走してるせいで松葉づえのゴムの部分が破損。
ほんでアルミの部分がむき出しになってカチャカチャゆうてしゃあない。

今日から学校のテストがスタート。
赴任してから3回目で段取りもわかってる。
一緒にテストを管理する唯一の同僚が2時間遅刻しようとも特に気ならない。
笑ってきよったから肩パン1発お見舞い。

今日はSTD1・2(日本で言う小1・2)のテストを実施。
昼までに9時から13時までの時間で5教科すべてのテストを終了するっていう強硬スケジュールで生徒も相当疲れたやろうな。お疲れさん!

ほんでこのテストの段取りは慣れたといえども慣れないものが一つある。
それはSTD1・2の生徒のレベルの低さ。

まぁ学力くらいなら笑えるけどそれ以前の問題。

自分の名前が書けない。アルファベットが正確に書けない、読めない。
問題の内容が理解できない。この問題が何を問うているのか、どこに回答したらええのか、選択なのか記述なのか。
プラス
スワヒリ語がギリギリの生徒ばかりやのに、5教科のうち4教科は英語で書かれてる。

もちろん生徒はわかるわけない。そらそうでしょう、ちゃんと学校いけてへんかってんから。
せやから0点も珍しくないし、何か書いてれば頑張った方やで。

以前、同僚(今日遅刻してきたやつ)はそんな生徒に罵声を浴びせ、片っ端からどつきまわしてた。
「なぜ字が書けないだ!ちゃんと書け!」
「なぜこんな簡単な問題が理解できない!」
「おい、まさる!こいつ、自分の字もかけへんぞ!はははっ!」
そんで、キボコ(木の枝)でどつく、平手打ち、耳引っ張るなどやりたい放題。

子供らはビクビクしながら、机に向かってた。中には泣きだすやつも。
もちろん怒られ叩かれで泣いてたやつもおるけど、中には悔し涙を流してるやつもいるように見えた。

俺は基本的に同僚には日本のやり方が正しいとか押しつけがましいことしないように心がけてるもののこの時ばかりはぶちギレた。

そらそうやろう。あいつらが字が書けへん、読めへん、理解できひんのもあいつらのせいじゃない。
もちろん誰のせいでもない。今まで知らんかっただけ。
しかももっと言うなら生徒らにそれを教えるのが俺らの仕事やん。
国籍・文化がなんであろうがこれは人としての基本やと思う。

教師という立場のやつがそんなことしたら余計に勉強から遠のけてまうやん。
あほか。すかたんか。頭使えや。考えろや。
あっこれ以上ゆうたら話それるからこの辺で。

とまぁこんなやりとりがあり、これがあったせいなのかわからんけど
今回は今のところ表面的に言えば手出す、罵声は見れない。
まぁぼちぼちやな。

でも子供らは本間にたくましいからそんなこと一切気にせず、テストが終わるといい笑顔してる。
わかるわ~その気持ち。
テストの最終日の開放感ハンパないもんな!

このテストの時に毎回思う。彼らはただ知らないだけ。
ただいつ知るんやろうと想うと少し心が痛むけども。

彼がここの学校に入れるのは約3カ月。
俺ができることは本間にちょっと。
せやから誰かがやるやろうじゃなくて、これは俺がなんとかせなあかん問題やと思う。

次回ラウンド時に持ち授業数を増やしてもらえるように計画中。

俺のできることは本間にちっちゃい。だからやれることはやる!
なんか最近、こんな決意系が多い気もするけど、まぁええか。

長い文章失礼しやした。

2011年3月8日火曜日

区切り

2010年3月24日


ケニアに来て、もう少しで1年が経とうとしている。

今週末にはJICAオフィスにて活動の経過報告をする中間報告会があった。

まだ1年あるのかっていう気持ちもあるけど

あと1年しかないっていう気持ちの方が大きい。

っていうのも今回の中間報告会でしっかりこの1年間振り返ることができて、自分のやるべきことが見えてきたし、

他の同期にもめちゃめちゃ刺激されたから。


この1年のまとめをたった15分のプレゼンに凝縮すると、見た感じではいい活動に見えた。

ただ実際はそうではない。

今後、俺の人生は50年以上もある。

そんな時空間でみれば俺がやってることなんて、本間にまだまだ。

まだまだというか浅いって言うた方が正確やな。

自分が今、やってることは国際協力というよりも国際交流のような気もする。

それではあかん。

協力隊という日本の国の事業で来てるってのもあるけど

それよりも

俺がそれではあかんと思う。

こんながっつりケニア人とケニアという国に関わるチャンスがあるのに

それじゃあもったいない。

本間にまだまだちっちゃいな〜俺。

まだまだガキやな〜ってめっちゃ思う。

自分の気分の浮き沈みがコントロールできひん時があるし、

責任という言葉を真の意味でわかってない。

だからもっといろんなこと知っていこう。

もっと責任をもって活動していこう。

ケニアでの生活は残り1年やけどそんな気持ちで1日1日大事にしていきたい。

毎日、自分でしっかり考えて、感じて、行動していこう。

しっかり自分の人生にも責任をもってな。


2011年1月27日木曜日

満面の笑み

子供時代の経験は将来大きくなったときの土台となる。

それが故に、教育は大事であるし、もちろん勉強だけじゃなくて、いわゆる青春することも大事。

友達の絵を描こうという授業をやった時の話。

生徒のほとんどがゲタスル更生学校に来たばかりだったので、彼らの間でのコミュニケーションと美術の授業をかねた時間。


何べんゆうても、自分の絵描くやつおるし、動物の絵かくやつおる。

ただ一応テーマは決めてるものの、自分でこれを描くって決めて、それを紙に描く、表現するってことは尊重したいのでその辺は柔軟に。

そんな彼ら。

おそらく絵を描いたことすらないやつもおると思う。

だから俺はいつもできなくても大丈夫。やってみたらできるから。とりあえずTRYしよう。と言う。
ついでに「おまえらサッカーが上手にできへんからってサッカーやらへんのか?」って加える。

そういうと満場一致でNOと言う。


ほんでからみんなが描いた絵をみせてもらう。はたから見たらとても上手とは言えない彼らの絵。俺の同僚も「下手やな〜」と普通に言う。

ただ俺は彼らがTRYしたことを知ってる。彼らが頑張ったことを知ってる。


だからその姿が見れた時はおもいっきりほめてやる。


そうすると彼らは弾けるほど素晴らしい満面の笑みを見せてくれる。


彼らのこの笑顔が彼らの今後の人生にどれほど影響するか測りしれない。


そしてこの小さい時の経験が大人になった時にしっかりつながってくれれば。


そんな彼らの笑顔が見れたとき、俺のやってることが意味のないことではないと思える。

空手

授業が始まり、3週間。

一番始めの授業は各クラスで俺の自己紹介をする。
生徒は3〜4週間前に来た子供らで、1カ月間ほぼ任地にいなかった俺を知っている生徒はいない。


名前、出身国、年齢から始まり、

ウガリ・スクマ・デングが好きで、一番好きなのはギゼリ、嫌いなのはウジ

ほんで日本にウガリとかマヒンディとかなくて、俺らは米食べるよ〜なんてゆうたり

ジャッキー・チェン、ブルースリー、サモハンキンポーとかは日本じゃないよ〜とか

空手は日本で、カンフーは中国かな?と言ってみたり。
もはや俺の紹介じゃなくて、日本の紹介になってるけど!

で、そんな自己紹介をちゃんと聞いてくれてた一人の生徒が放課後にグランドに座ってる俺のとこに。

生徒 『ムワリム(先生)!俺、空手知ってんねん!』


俺 『おっ本間か!見せてーや!』

とまぁチャイニーズ映画などを見たやつを真似したやつやろうなと思いつつ、俺もそんな彼らが嫌いじゃないので見せてもらうことに。

ところがどっこい。

彼が見せてくれたその型はめちゃめちゃ本格的なもので、かつ相当な練習量が伺えるほどのキレと真剣な顔つきが見て取れた。
つい、俺も『おぉー!!』といってしまうほどすごかった。


生徒 『これな!めっちゃ練習してん!空手の先生に教えてもらってんで!』


と、彼も日本人の俺にその成果を見てもらえたことでとても興奮してたんだろう。そんな様子でどこで、誰に教わったかを話してくれる。


ただ、彼が見せてくれたその型は飛んだり跳ねたりめちゃめちゃアクロバティックな要素が交じり、あきらかに空手じゃない。
『空手ちゃうやん!!』と思わずツッコミそうになった。

















その時は彼の空手(と彼がおもってるもの)に対する真剣な姿勢に押され、言えなかった。

ただこれはいつかはゆうたらなあかんと思いつつ、ただ俺もちゃんとした空手を知らないが故に説得力ある説明ができないと葛藤。

でもそこは日本代表としてゆうとかなあかんよな〜。

思わせてくれるほど彼の型はすごかったという話。

そして俺の学校はやっぱケニア中のいろんなティーンエイジャーが来るな〜と実感。
本間におもしろい!

2011年1月10日月曜日

旅行シリーズ 第二弾

ということでお次は年末年始に行ったワタム!

ワタムはケニアの東の端っこにあってインド洋に面した町、つまり海です!海やー!
ワタムは昔、イタリアンマフィアが休息の地として開拓し、今ではイタリア人がめっちゃおるリゾート地となってます。
もちろんケニア人もいます。

やっぱおもろいメンバーと行くと勝手に旅行はおもろくなるよな。
誰かが行ってましたが一人で行く旅行はその場所を楽しむための旅行。
みんなで行く旅行は思い出を作りにいくための旅行。だそうです。

今回は欲張りにもこの両方を網羅したと自負。

海ではイルカみたり、シュノーケリングしたり、市場で魚かって刺身にしてたべたり、うますぎるジェラート食ったり、ビーチボーイとイタリアンばあさんのありえないカップルのディープキスみたり。
みんなと悪ノリのじゃんけんやって俺が朝と昼の飯世話するハメになったり、ロッジのプールで誰がプロレスの技をきれいにキメられるかコンテストやったり、どっかのホテルの年越しイベントでゲリラポイやったり。

いや〜おもろすぎた。おもろすぎて、疲れマックスで頭痛なったほど。

ではでは写真でど〜ぞ。

シュノーケリングでの1ショット 右:えいじさん 左:俺

海から船を
とりあえず逆立ち
年越しイベントでゲリラポイ
最高ー!!




とまぁ最高の年末年始でした。
企画してくれたけいちゃん・かなちゃんありがとう。好きやぞ。

ということで心機一転。また活動頑張ろうと思えたそんな旅行でした。

シリーズにしたものの第二弾までしかなかった。笑
次からはまたいつも通りの日常のこと書きます。

2011年1月6日木曜日

旅行シリーズ 第一弾

ということで、前回に言いました旅行シリーズ第一弾!

今回はマサイマラを紹介!

12月の頭に3泊4日でサファリに行ってきました。
マサイマラではケニアに旅行にきたらまずココはおさえた方がいいって言われるほどの観光スポット!

今回のツアーは21−4の同期で、
以前マサイマラでサファリガイドとして働いていたことのある、
且つテレビチャンピョンで動物王になったことのある
二本松の訓練所では部屋が隣だった加藤さんプレゼンツで行ってきました。


もう何がすごいかって景色がすごい。
どこ見ても草原、草原、草原!!

泊まったロッジもサバンナを見渡せるほどの丘の上にあって
グレードも結構すごかったらしく、日本人のVIPはだいだいここにステイするらしいです。
ちなみに俺は藤原ノリカがステイしたことのある部屋に泊まりました。

なんか言葉ではあまり伝わらないので写真で紹介。




マサイとツーショット


サバンナのど真ん中で

日の出 残念ながら曇りだった!

ロッジからの晴れた日の景色! 最高!
サバンナからの晴れた景色
初の気球体験!はい、またこれも景色すごかった。
サバンナを見下ろしながら、ジャグジーに。


こんな感じです。書き出したらキリがないのでこの辺にしときます。

でまぁサファリして気付いたことやけども、オレそない動物好きじゃないかも。笑
だから動物の写真のっけなかったのではありません。
もちろんライオンとか、チーター、ハイエナ、ゾウ、キリン、プンバなどなど見つけた時は「うおぉー!!」ってなります。
ただちょっと見たらもうええかなってなる。笑
サファリカー(サバンナをぐるぐる回るための車)の中からしか見れないことに少し違和感を感じたのかな。
できれば自分の足で近くまで行って見たかったのもあったね。

ただサバンナの景色は言葉にならないくらい壮絶な景色でいつまでも見ることができた。
どこまでも広がる草原、透き通った青い空、手を伸ばしたら届きそうなほど近くにある雲。

もぉーたまらんかった。また行きたいな。

ということで自然の雄大さを思い知った、そんな旅行でした。