2010年7月9日金曜日

ショック・ビックマック

今日ショックなことがありました。

1つ。生徒が逃げた。

うちの職場(更生学校)では結構なペースで子どもらが逃げます。1週間に1〜2人くらい。
で、職場に来て2カ月が経とうとしてますがもう子どもらが逃げることに慣れていたつもりでした。
といか逃げる子じゃなくて、ここに残っている子どもらのことをまず考えようと思ってたからあまり気にしてなかったのかも。

がしかし、ココにきて2〜3週間くらいしたやつが逃げました。
そいつはいつも俺に英語で話かけてくるやつで
いつしか俺と話してたときも、「オレはもういい子になった・・・」っていうやつで
母親と電話したいから、携帯貸してというてくるやつで
更生学校では食べれないドーナツ1つを食べたいがためだけに俺の家の前の草刈りを一人でせっせとやるやつで

なんともやりきれない・・・なにがあったんや・・・あいつ何してんやろか・・・今日どこで寝てるんやろか・・・
めっちゃ気になります。おそらくここに戻ってきたら棒でボコボコにされながら怒られるんやろうけどマジで戻ってきてほしい。


2つ。マットレスぱくられた。

自宅近くに住んでいたもう帰国した先輩からもらうはずであったマットレスぱくられました。
真相は定かではないが、空き家になっていた先輩宅に輩が侵入して、持って行きよったのか、
はたまた空き家ということを知っていた身内が持っていきよったのかわかりませんがとりあえず俺のマットレスない!笑

そろそろ俺の腰限界!!


ってゆうショックがでかいときにショック・ビックマックって言ってた連れを思いだしながらひさびさのブログを更新するオレ。



2010年6月19日土曜日

困ったな。

任地である更生学校に赴任してはや1カ月。

時間が過ぎるのは早いね〜と思うのは振り返ってみた時だけ。

今、毎日時間が過ぎるのめっちゃ遅すぎです。

なぜなら・・・仕事がない!!笑
いやマジ洒落ならん・・・。

でもまったくないというわけではありません。

一応、最近は朝8:00に出勤して、朝礼的な集会の後、9:00〜10:00まで同僚の授業補助やります。

んで11:00〜12:30 体育をしてます。今はドッチボールやってます。

はい。こっから暇です。授業終わってから16:00まで子供らはご飯食べたり、カウンセリングしたり、掃除したりしてます。
一応学校のタイムテーブルでは子供らの予定はびっしりなのですが、暇を持て余してる子供もちらほらいます。それは同僚がチャイ飲みながらくっちゃべったり、新聞読んだりしてるからです。
あ〜マジぽれぽれ。

今はその流動的なスケジュールと暇を持て余している子供に対して何をしようかと模索中です。
このぽれぽれに慣れるのが怖なってきた。

正直言うとめっちゃ焦ってる今日この頃です。


でも元気なのには変わりなく、毎日一人になるアフター6を楽しんでます。











2010年5月26日水曜日

どっちやろ


職場に赴任して2週間。未だに決まった仕事はありません。

ただ明日から(というか本間は今日からやったんやけど)授業をします。

体育教えます。 始めは準備体操とか教えてぼちぼちやろうかなとおもてます。

でもまぁこっちの先生たちっても日本もそうなのかもわからんけどようわかりません。

僕の職場の学校にはマネージャーと副マネージャー以外がみんな正規の職員ではありません。
ボランティアティーチャー的な人が10人くらいいます。んでみんな授業は教えません。授業は僕と来週に来る(かもしれない)正規の職員のプロフェッショナルティーチャーと呼ばれる人が担当します。でもなぜか彼らは先生って呼ばれてる。

彼らの仕事はいろいろで福祉的なことやったり、事務的なことやったり、食事作るん指示したり、子供と話したり、棒で子供らどついたり本間いろいろ。
でもほとんど仕事せず、茶しばいたり、おしゃべりしたり、新聞読んだり、家に帰ったり。その間、子供たちは暇を持て余していてみんなぼーっとすわったり、じゃれたりしてます。何しとんや本間にと多々感じてます。

んでもまぁそんな俺も仕事ない時はたまに彼らにつられてそんなことしてます。僕は別に彼らのペースを崩すつもりもないし、合せようとも思ってません。ただ自分のやりたいことを邪魔する時はスネます。

そして今日、毎日14〜16時まであるカウンセリング(木の下に100人の子供たちを集めて、先生が一人ずつなんかをしゃべる)時間に彼らが子供たちにこんなことを言いました。

「勉強したり、遊んだりするのは私たち先生のためやあなたたちの両親のためじゃない。あなたたち自身のためだ。だから自分のために何事も一生懸命にやりなさい。」

ええことゆうやん。

いつも子供らにパンとか新聞とか自分の日用品とか買いにいかせてるのに、ええことゆうやん。

感心しました。
まぁそんなことゆうんやったらあんたらが授業したれよとか思ったけど、確かに自分の仕事じゃないからそこまで俺がゆうのもおかしいしね。

なんかここの先生たちにここに来てから少し不信感を覚えてたけどこの話きけてなんか俺も頑張ろうって少し思えました。

ケニアに来る前からいろんな情報を集めて、ケニア人はどんな人やとかいろいろ聞いてたけど、先入観ってよくないなと思いました。
いろんな人からケニア人はちゃんと仕事せえへんとか聞いてたけどそんな人達のフィルターを通してケニア人を見ていた自分に気づいた。

あかんな。もっと自分の目で人や物見なあかん!

でもまぁとりあえず自分の仕事ちゃんとできるようになろ・・・笑


2010年5月18日火曜日

5月12日 シティーボーイ



はい。ど〜も。生まれも育ちも大阪のいわゆるキタ近辺のシティーボーイ、つまり都会っ子です。

 

ケニアにきてやっと田舎の生活ができると思ったら首都ナイロビはまさかの大都会で高層ビルばんばん建ってるわ、車ビュンビュン走ってるわ、人わんさかおるわで、びっくりです。でも一応、職場の学校は首都の郊外なので学校の周りには広大な畑とグランドと牛3頭がいます。

でもでもその首都からバスで20分くらいのとこにあるのでいつでもデカいショッピングセンターに買物いけます。

そして今日さっそく買い物に行きました。めっちゃ買いました。シーツに、調理器具に、食糧に、そして冷蔵庫。完全に日本とほぼ変わらんくらいの生活が送れる状況になりつつあります。

 

ケニアに来るまでは田舎の電気も水道もないようなとこで生活したかったとかゆうてましたが、人は自分が生活する環境に適応する生き物だと改めて実感しました。

 

そして現時点で生活に関してそこまで不自由を感じていません。

 

家の外にぼっとんのトイレがあったり、井戸から毎日の生活水をくみ上げてる同期の隊員には申しわけないくらいです。

 

唯一の不自由は職場から貸与されているマットレスが柔らかすぎてここ最近朝起きると激しく腰が痛むこと。腰痛持ちにはかなりつらい、この状況・・・。

5月11日 赴任


 長かったスワヒリ語の語学研修が修了し、ようやく待ちに待った赴任日。

 

協力隊に行くと決意し3年。去年5月の3回目の応募から1年。ここまで辿りつくのに以外に時間が過ぎてた。

 

長かったような短かったような。でもこれで本当に、本当にスタートラインに立つことができた。

 

何か手助けしたい。もちろんそう思てる。少しでも子供たちの未来を明るく輝かすことができれば。少しでも子供たちの将来にいい影響を与えることができればと。

でもそれと同じくらい。もしくはそれ以上に自分に何ができるか。自分はどれくらい大きくなれるか。今現在まともにケニア人とコミュニケーションすらとれない自分がどこまでできるのか。この2年間、やってあげるとか、してあげるとかそんな傲慢なことは言うつもりもないし、自分にそんな力もない。この2年間この広大なアフリカの地とおおらかなケニア人の胸を借りるつもりで活動していきたい。

 

そして約2年間、自分の原点を忘れずに。初心を大切に頑張っていこ。

2010年4月26日月曜日

最高の休日

今日は朝9時からサッカー。

ケニアで水関係?の専門家でいらっしゃる土居さんのお誘いでナイロビにあるスポーツクラブらしきグランドへ。メンバーはJICA職員の方や日本のNGOの方、現地NGOの日本人の方、よくわからんオランダ人らしい人、あとケニア人2人(内、1人は元プロ)

訓練が終わった3月の頭からまったく体を動かす機会がなかったのでいい運動になった。


といいたいところですがまったくそんなことない。。


オーバーワークもええところ。笑

標高1700m+1か月半の怠惰+体感30分ハーフ+サッカー素人=死にそう。


さっそく右足の縫工筋を激しく痛めました。

でも軽く日常生活に支障をきたすくらいのでHakuna Shida。


子供らにもスポーツ中心に活動するので真剣に体作ろうと決心しました。


んでJACII(あいのりのヒデが来たことあるらしいスワヒリ語学校)で裸で水浴びして昼飯へ。


んでまた昼飯がうまいのなんの!

Yaya Centre 近くにある Hong's restrant にて600シルのとんかつ定食をがっつき、一瞬でごちそうさま。なんか一口目にいった時におもわず「ただいま」ってゆうてしもた。

あと1年11カ月思いやられる。笑

でもひさびさに贅沢した食事でした。


 んで次はドミトリー(隊員連絡所) にてKESTESのお話を先輩隊員に聞かせてもらった。



KESTESとはケニア協力隊員が組織しているケニア人学生を対象とした奨学金制度を運営している集まりのこと。

まだまだ口頭だけでの説明でいまいち実感がわかないけど自分もそのメンバーに入った。

 一人でも多くのケニア人学生の将来を照らしてあげたい。

ってゆうのももちろんあるけど理屈よりなにより一番にこの話を聞いた時にやりたい、やらねばと思ったから。なんとなくといってしまえばそこまでやけどこういったフィーリングは大事にしたいと思う。



そしてその後はJACIIに帰って昼寝。


そんな充実した一日。

明日からまた語学訓練が始まる。

2010年4月25日日曜日

2年後・・・

任地訪問(職場や住居を下見するのが目的)も終わりいろいろと考える今日この頃。


2年後の自分はどうなってるんかな。。。


英語もスワヒリ語もぼちぼち話せるようになって、今までよりもケニアで生活することによって精神的にも、肉体的にも強くなってるんかなと思う。

でもせっかくの2年間少しも時間を無駄にしたない。


それは活動面でも、プライベートでも!


だからなんとなく生活するのはやめよう。

ということは目標をたてなあかん。


人生は終わりのない旅とかゆうけど、 あんまりそう思わん。

ゴールとか、目標とかないと何してるかわからんようになってまう気がする。自分は。



ケニアに来る前からある程度の計画はしてたけども頭で考えてることと実際に目で見る、肌で感じることは全然ちゃう。



自分の性格は人の目を人一倍、気にすること。

何をするにしても客観的にみてしまう。

いいことかもしれへんけど、自分で決めなあかんこと、自分で考えなあかんときにも人の目をきにする。

しょーもな。

自分の言いたいこと、やりたいことを人の目を気にしてやらん。

しょーもな。

一見、冷静で理性的な大人にみえるかもわからん。

一見、世間体のいい、そこそこええやつにみえるかもわからん。

でも無難な人間で終わってもうて、特に印象深くのこらん。


あかん、あかん。

絶対しょーもない大人になってまう。


外側は飾って、中は空っぽなやつになってまう。


具体的にどないしたらええんかは正直わかりません。
もう22年もこんな感じやったからたった2年でなんとかなるもんじゃない。

でも「なりたいとずっと強く思い続けてたらいつのまにかなりたい自分になっている」


って聞いた。


よっしゃ、もう人の目を気にしません。決まり。


やったろ!